明るくあたたかい文章が人気のメッセージ「関真士のAmazing LIFE」を、WEBコラムとして不定期でご紹介しています。今回は第37号の全文をご紹介します。このコラムは、このページの最後から、無料でダウンロードしてA4用紙にプリントアウトできます。気に入ったらぜひプリントして周りの方に手渡してください。
挨拶ことばは、国によって様々だ。日本では「こんにちは」が一般的だが、このことばは「今日は、ご機嫌いかがですか」が省略されて「今日は」だけが残ったものらしい。
私の住んでいるのは、ハワイ州オアフ島にあるマノアという地区。ここは歴史保存家屋が多くあるヒストリカルタウンだ。ここで毎日愛犬の散歩をしていると何人もの人とすれ違う。その時みんな「ハ~イ!」と挨拶をし合う。お互い知り合いではないのだが、道行く人みんなが挨拶をし合うというのは本当に心がほのぼのとする。
教会にホテルのベルボーイをしている方がいる。ある日のこと、その方がいつものようにエレベーターに乗った時、そこにいた男性に「How are You ?」と挨拶したそうだ。後日、その男性が彼に「あなたの挨拶で私は助かった」と感謝を伝えてきたそうだ。実はその方は、自らの命を絶つことを考えるほどに人生が追い詰められていたのだが、その一言の挨拶で生きる力が湧いてきたというのだ。何気ない挨拶ことばにも、そんな力がある。
日本では、挨拶をすることをとても大切なこととして教える文化がある。学校でも職場でも、まず挨拶が尊ばれる。ちなみに料理の世界では、厨房に入る時には夜でも「おはようございます!」と挨拶するのが慣わ
しになっている。
挨拶とは、人間関係を良好にするため、平和を保つためにある。また相手との関係性によって挨拶言葉も変わってくる。「よっ!元気?」から、90度腰を折り曲げる挨拶もある。どんな挨拶をするかで相手との関係性が分かるようになっている。だからちゃんとした挨拶ができないと「挨拶もろくにできないのか」と信用を失ってしまうこともある。
一方、米国にいるとその挨拶に戸惑うことがある。こちらのスーパーのレジに行くと、店員さんがぶすっとして挨拶もしない。最初は、自分が何か悪いことでもしたのかと思ったりした。かと思うととても明るく挨拶する店員さんもいる。
しかし、ある時分かったのは、この方々には、愛想笑いという文化がないということだ。営業スマイルがないのだ。自分が笑顔になりたい時にはなり、そうしたくない時にはしないだけの話で、相手との関係を良好にするために、とりあえず笑顔で挨拶しようという発想はないようなのだ。私にとってはカルチャーショックであった。
その国、土地、文化によって挨拶の仕方、考え方はずいぶんと違うものだ。しかし確かなことは、心のこもった挨拶は相手の心を心地よくするということだ。
聖書の原語であるヘブル語の挨拶ことばは「シャローム」という。このことばの意味は「平安がありますように」であるが、その内容は深い。シャロームには、平安であるために必要なもの全てが与えられますようにという願いが込められている。
平安に必要なものとは何だろう。愛、喜び、平和、赦し、希望、共感、健康、繁栄、充足…などなど、それらすべてが与えられ、あなたが平安でありますようにという願いが込められたことばなのだ。
私たちは、様々な人からいろいろな挨拶を受けるし、また私たち自身も多くの挨拶をする。その挨拶によっては、気分が良くなったり悪くなったりすることもあるだろう。
しかし実は、神があなたに「シャローム」と挨拶をしてくれているのだ。神の挨拶は心からの挨拶だ。ただのことばだけではない。あなたが平安であるために、あなたに必要なものをすべて与えるという神の想いが一杯に詰まっていることばなのだ。
今日も、道を歩いている時も、仕事をしている時も、料理をしている時も、ぼーっとしている時も、どんな時も神は「シャロ―ム、平安がありますように」とあなたに挨拶してくれているのだ。
1964年東京生まれ。荒れ果てた10代を過ごし、20歳の時にコックの仕事で渡米し、クリスチャンとなる。その後、27歳で東京聖書学院を卒業し牧師となる。40歳の時にハワイにあるホノルル・キリスト教会の牧師となり現在に至る。家族は、愛する妻と4人の子供。趣味は、料理と茶道、サーフィン。
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