遊牧生活を知ると聖書がわかる–遊牧民族ユダヤ人の荒野で育まれた信仰

放牧

こんにちは。皆さんは聖書をお持ちですか。聖書は世界のベストセラー。日本でも常識として知っておきたい人たちも多く、クリスチャンでなくても聖書をもっている人は多いのではないでしょうか。
しかし、いざ読み始めると古い時代の話で、地域も中東から西アジア、アフリカなどが舞台になっているので、どことなくリアリティを感じにくいというのが正直なところではないかと思います。特に、砂漠地帯の遊牧生活などは、私たち日本人には経験がない世界です。ところが、聖書ではその遊牧にまつわる記述が案外多く、羊や牛、らくだ、ろばなど家畜の登場も実に多いのです。それはそこに彼らの日常があったからで、聖書の教えは神話や伝説のようなものではなく生活に根ざした具体的なものだったのです。
そこで今日は、その世界をイメージすることで聖書がより身近になるのではと思い、遊牧民の生活を紹介しながら聖書のさまざまな箇所を見ていきたいと思います。
(もちろん聖書には農耕に関する記述も多いのですが、そちらは我々にもある程度想像ができるところなので今回は触れません。)


Taro
Writer ProfileTaro

プロテスタント教会の信徒で新生宣教団の職員。前職から印刷に関わり活版印刷の最後の時代を知る。 趣味は読書(歴史や民俗学関係中心)。明治・江戸の世界が垣間見える寄席好き。カレー愛好者でインド・ネパールから松屋のカレーまでその守備範囲は広い。

遊牧生活とは

遊牧生活を紹介と言っても、当時のイスラエルの遊牧をきちんとお伝えするとしたら、それは聖書学や考古学の分野になると思いますので、この内容はそれほど専門的なものではなく、近現代までそのスタイルが大きくは変わっていないと思われるベドウィン(西アジアの遊牧民)の生活を中心に、モンゴルの遊牧生活などもおりまぜながら、遊牧生活とはどのようなものなのかザックリ見ていきたいと思います。
家畜に合わせて移動を繰り返す彼らの生活は、かなりの部分が自給自足になるかと思うのですが、一体どんな生活なのでしょうか。

1.住居について

ベドウィンのテントベドウィンのテント(イメージ)

牧畜を行う人たちは、基本的にあまり農耕には適さない乾燥地帯に住んでいる人たちと言えると思います。とは言え全く水もない、草木も生えないほどの地域ではさすがに誰も住めませんよね。
そこで、彼らは、雨季と乾季で、あるいは夏季と冬季で住む場所を移動しながら、家畜の群れを養い、家族・親族の単位で生活している人たちと言えるでしょう。そうなるとその住居は固定されたものではなく、移動に適したテント生活となります。例えば夏季にAという場所を拠点としたならば、家畜の群れはAから数十キロの範囲で草と水を求めて移動をし、Aに戻るということを繰り返します。季節が変わって大きく移動し、今度はBという場所にテントを定めたならば、その季節はBという場所を中心に数十キロの範囲を行き来するといったイメージです。
夏期と冬期でエリアを変える

テントの生地は、山羊の毛で織られた布が素材で、雨が降っても水をはじくし、水を含んだ場合には締まるので大丈夫なのだそうです。敷物はらくだの毛で織られた絨毯を用います。内部は仕切られていて男女に分かれているそうです。
モンゴルなどの寒冷地の遊牧民は、同じ移動可能な住居と言ってももう少ししっかり熱を遮断できる、ゲル(パオ)と呼ばれるものに住みます。

2.食について

チーズ

乳製品

人間の営みに穀物とか野菜とかは必要ないのか気になりますが、例えばモンゴルの高地の遊牧生活では、冬場には干し肉を食べたり、馬乳酒などを飲んだりするのだそうですが、この馬乳酒というのがかなりミネラルやビタミンが豊富でそれだけで過ごすこともあるのだそうです。
彼らにとって、不足なく口に入るものといえばやはり乳製品ですよね。
チーズはまさに保存可能な栄養食品で、欧州で発達しましたが、西アジアの遊牧民が編み出したものだと言われています。早い段階から羊や山羊の乳からバターや、ヨーグルトのようなものを作り食していたようですが、さらに水分を分離させ塩をたっぷり擦り込んで保存食にしていったものがチーズです。かなり塩っぽくカチカチで、割ったり溶かしたり、食材に混ぜて調味料的に使うようことが多いようです。
その作り方を映像で見たことがありますが、かめに蓋をして4日放置した乳を、革袋に入れて口を縛り、ゴロゴロと1時間も転がして撹拌、それを今度は水切り袋のようなものに入れ、木に吊るして水分を落としていきます。自然界の乳酸菌が働いて熟成していくのですが、ほどよく水が切れたところでソフトボール位に丸めて、たっぷりの塩にまぶしてテントの屋根で天日干しして作っていました。干すところまででも数日はかかる工程を、現代のチーズ製造工場では発酵剤や凝固剤を使うことで数十分で行っていますが、その原理は全く同じものです。

家畜は大切な財産ですから、身近にあるといっても毎日お肉を食べているのではないようです。お客があったり、お祝いがあったりしたときなどの特別なご馳走なのですね。また、冷凍保存などが出来ないので、一頭絞めたら親族や近隣にも振る舞ったりするそうです。シンプルに塩ゆでにするのが主な調理法ではないかと思います。

パン

パン、その他

小麦などは自ら生産出来ませんので、交易などにより手に入れるしかなく、それを自ら焼いてパンにしていました。近現代のベドウィンは中華鍋をひっくり返したような鍋に生地を平たく押し付けて焼いたり、インドのナンのようにくぼんだ竈(かまど)の縁に押し付けて焼いたり、焚き火の灰の中に直に潜らせて焼いたり、焼き方も地域によってさまざまなようです。酵母で発酵させたものとそうでないものもあって、朝食はこのパンを溶かしたバターにつけて、ミルクたっぷりのお茶と一緒に食べるといったシンプルなもののようです。
その他、交易などで入手したであろう、ナツメヤシとかレンズ豆などは重要な栄養源のようですね。ただ、日々鮮度が落ちる野菜類は入手困難であまり摂ることが無いようです。

3.日常生活について

遊牧民の生活はただ、家畜を飼っているだけではありません。かなりの部分を自給自足しているので、それなりの忙しさがあるようです。

家畜の放牧

放牧
家畜の餌と水を確保することは基本中の基本ですね。主に男性の仕事で、数百匹、数十頭の家畜を引き連れて安全に数キロ、数十キロを移動させなければなりません。
羊は臆病で迷いやすいというのは本当のようです。群れのリーダーをもたない動物だそうで、人や馬、犬(馬はモンゴル、犬は欧州などで)などがうまくリードしたり追い立てたりしながら、草地へと導きます。ときには羊の群れに山羊を混ぜることで、統率がしやすくなることもあるようです。山羊の方が好奇心旺盛で、自ら考えて行動するのだそうですww。
大事なことは、根っこまで食べつくさせてしまうとその地の草木は再生が出来ないので、適当なところで引き上げること。拠点を中心にあちこち移動するのもそういう意味があるのですね。

乳製品づくり

これは主に女性の仕事のようです。上に記したようにチーズを作るだけでも結構な手間がかかります。その他、バターやヨーグルト作り、その前の搾乳の仕事も大変な仕事です。乳がよく取れるシーズンには一日中搾乳や革袋の転がしを続けるのだとか。

燃料の確保

これは、女性や子どもの仕事のようです。乾燥した家畜の糞は良質の燃料で、特にらくだの糞は長時間火力がもつそうです。また灌木の根や枯れ枝なども着火時に有効な燃料となりますので、それらを拾い集めてくるのも大事な仕事です。

織物や革製品

織物羊や山羊、らくだの毛などから、さまざまな生活用具を生み出します。
毛を刈るのは主に男性の仕事のようですが、毛糸を紡いだり、絨毯やテントの生地を織るのは女性の仕事のようです。
こうしてみると遊牧民の女性は随分忙しそうですね。(日本もそうかもしれないですね)
また、山羊の全身を活かした革袋(四足の先は紐で固く縛る)を作ったり、胃袋を水筒にしたり、身近なものは色々な道具になるようです。

水の確保について

人にとっても家畜にとっても、水の確保が生命のための絶対条件です。特に生活用水を汲む役目は女性や子どもたちが担っているケースが多いようです。
表に水が出ているところなら、水汲みも家畜への水やりも比較的楽でしょうが、井戸の場合には家畜への水やりはとても辛い労働だっただろうと思います。

塩について


遊牧民が使用する塩袋(イメージ)

意外と塩は注目されにくいのですが、水と同様に生命のための絶対条件ですね。よく、塩は食物の保存や味付けのためと言われますが、それもつまりは摂取して生命の維持管理をするためです。
家畜も本能的に塩を欲します。草木からは塩分を得ることはできないので、塩は当然飼い主が定期的に与えてやらなければなりません。しかし遊牧の生活をしながら、自ら岩塩を採取したり、海水を精製したりすることは出来ないと思いますので、おそらく交易によって、入手していたのではないかと思われます。
先日、たばこと塩の博物館で面白い展示がありました。それは、西アジアの遊牧民が使っていた塩の袋というものです。それは、毛糸で編んだ凸型をしたもので、それで家畜の群れを統御するのに役立てていたというのです。家畜が人から離れないでついてくるのは、人と一緒にいると塩がもらえることを知っているからだそうで、上方の口の部分が狭めになっているのは、家畜の口が入らず、無闇に塩を取れないよう制御するためだそうです。

4.遊牧民の家族関係

遊牧民の生活では、リーダーの存在が重要になってきます。つまり、どこに拠点を構えるべきか、次はどこに牧草を求めて移動するかなど、その判断が群れの生死を分ける可能性もあるわけで、伝統的に家長に権限が集中するようになっていきました。
また、群れと群れの争いなども起こりうるために、一族の結束を大切にするといわれています。そのため、現代でもベドウィンの婚姻は親族内(いとこ以上)で行われるケースが多く、近親婚が7割に近いと言われています。
創世記のアブラハムとその妻サラが異母兄妹だったり、ヤコブの妻ラケルとレアが母方のいとこだったりするのも我々には違和感がありますが、遊牧民の間では普通のことなのかもしれませんね。

家畜

5.家畜について

遊牧の家畜は大きく2種類に分けられます。生産物として飼われる家畜と、その家畜を補助する家畜です。
前者は小型の家畜で、羊や山羊といえると思います。後者は大きめの家畜でらくだ、牛、馬などです。大型の家畜は移動時に荷物を運んだり、小型家畜を統率する役目を果たします。馬はモンゴルや中央アジアで主に使われ、それが騎馬軍隊へと発展して世界の歴史を変えてきました。一方、西アジアでは乾燥地帯に強いらくだが重宝されてきました。もっとも最近ではトラックなどを使うようになってきて、らくだの需要も減っているようです。

アブラハム、イサク、ヤコブに見る遊牧

さて、これまで遊牧の生活を概観してきましたが、ここからは、聖書に登場する族長(イスラエルの父祖たち)たちであるアブラハムやイサク、ヤコブがそのような生活の中でどのように神様と関わってきたのかを見ていきましょう。

アブラハムへの神のお告げ(創世記12章)

地図で見るアブラハムの生涯創世記12章1~9節には、メソポタミアの繁栄の地カルデヤのウルを出てハランに住んでいたアブラハム(当時はアブラムと呼ばれ75歳だった)に、神が「国を出て、私の示す地へ行け。そうすればあなたは大いなる国民となり、世界の祝福の基となる」と語られ、それに応答して旅立った様子が書かれています。父親はハランで亡くなり、出発したのはアブラハムと妻のサラ(当時はサライと呼ばれる)と、甥のロトとそこで得た人々と財産でした。財産の大きなものはやはり家畜だったのではないかと思われます。
到着の地はカナン(イスラエルの地域)で、シケムの地で祭壇を築いたのち、ベテルの東、ネゲブへと移り住みました。

アブラハムとロト──家畜が多すぎて別れる(創世記13章)

アブラハムとロトの別れその後創世記12章10節以降では、ネゲブで激しい飢饉に見舞われエジプトに逃れる様子が描かれます。
アブラハムは妻のサラ(サライ)が美しいためにエジプト人を恐れ、妹であると語らせ、それゆえにサラがエジプト王に召し出されるという状況に陥ってしまいます。神が介入されてエジプトを打たれたために事なきを得、サラがアブラハムの妻であることが明確にされて、災いを恐れたエジプト王は彼らに財産を持たせて去らせました。
そこで、「多くの羊、牛、雄雌のろば、男女の奴隷、らくだを得た」とアブラハムたちの財産がはっきりと記されています。
そして13章では、アブラハム一行がカナンの地、ベテルの東に再び戻った様子が書かれていますが、ここで問題がおこります。それは、甥のロトの財産も増えたために、共に住むことができなくなったということでした。おそらく、家畜の所有管理の問題や、水や餌(草木)の確保が難しくなったのではないかと思います。
アブラハムはロトに好きな地を選ばせ、自分は痩せた土地での生活に甘んじています。緑豊かなヨルダンの低地ソドムを選んだロトは当たりくじを引いたように見えましたが、豊かさには影の面もあります。ソドムは悪がはびこる問題の地でもあり、それがロトの家族には落とし穴になりました。一方で、アブハラムが留まったカナンの地は神の約束の地であり(12章7節)後々の祝福を見通していたかもしれません。先にロトに好きな場所を選ばせたのは、アブラハムには、ロトが物成りの豊かなソドム地方を選ぶであろうことが予想できていたのでしょう。

イサクの歩みにまつわる水の出来事(創世記24章、26章)

その後、さまざまな出来事を通してアブハラム(アブラム)は神様に取り扱われていきました。そして約束の息子イサクが与えられ、イサクがアブラハムの祝福を受け継ぐ者となっていきました。
イサクの歩みの中に、遊牧生活を想起させる水に関する出来事がありましたのでそれを見ていきましょう。

リベカとの出会い(創世記24章)

創世記24章では、イサクの嫁さがしが行われます。アブラハムが家令に探させるのですが、カナンの女からではなく、アブラハムの故郷へ行かせ、親族の中からさがすように命じています。家令にとってこの任務は責任重大でした。そこで彼は神に祈ります。「泉(井戸)のところに現れた娘たちのうちで、自分が水を求めたとき、自分にだけでなくらくだにも水を提供しようとするものが(嫁にふさわしいと思うので)それに出会わせてください」という内容でした。すると祈った直後に現れたのが水がめをもって水を汲みにきていたリベカでした。そして、リベカはアブラハムの家令と10頭のらくだのために井戸と水ぶねの間を往復して水を汲み、提供したのでした。
当時その地方では水汲みは娘たちの仕事だったようですね。

イサクとペリシテ人の井戸を巡る争い(創世記26章14~25)

井戸イサクの時代にも、カナンの地で厳しい飢饉がありました。この時神様は、イサクにエジプトに行くのではなく、ゲラルというペリシテ人の地に留まるなら祝福すると約束されます。そこで、イサクはその地にとどまりますが、美しい妻リベカゆえに危害に遭うことを恐れたイサクは、リベカを自分の妹であると偽って王様をはじめペリシテ人を困惑させてしまいました。父アブラハムのエジプトでの姿と重なりますね。
結局、神様の祝福を得たイサクはペリシテ人の地で穀物にも家畜にも恵まれて、却って妬みを買うほどになっていきました。
父アブラハム時代に掘った井戸は埋められてしまい、さらに塞がれたアブラハムの井戸を再び掘り返した時も、現地の羊飼いたちとの争いで奪われてしまいました(エセクの井戸)。さらにその次も同様の仕打ちを受け(シテナの井戸)、散々な目に遭っています。水の確保は人にも家畜にも最重要課題ですからこれは相当堪(こた)えたのではないでしょうか。そして、結局その次に掘った井戸(レホボテ)は三度目の正直で争うことなく確保することができました。大変な忍耐を学ばされたと思いますが、水はそうまでしても確保すべきものだったのです。

ヤコブと伯父──羊の管理をしながら有利に(創世記30章25~43)

イサクとリベカの双子の弟ヤコブにも羊飼いの姿を見ることができます。
ヤコブはイスラエル国の由来となる人物ですが、ずる賢いところもあって、兄エサウが受け継ぐべき長子の特権(神からの祝福)をだまし取ってしまいます。しかしそれは、神の祝福の価値をしっかりと捉えていたがゆえにともいえます。
ヤコブは兄エサウの復讐を恐れて逃れ、母リベカの故郷、伯父ラバンのもとに身を寄せます。
そこで、ラバンの二人の娘との結婚をめぐって騙し合いのような形になるのですが、結局、長い時間そこに足止めをさせられるものの、伯父の所有していた羊や山羊の管理をすることで豊かになっていきました。具体的に言えば、ぶちやまだら、黒い家畜を自分への報酬として受け、そうでないものを伯父のものとして管理するという約束です。
ヤコブは家畜たちの交配を賢く行い、強く優秀なぶちやまだらの家畜たちを獲得していったのでした。

ゴセンの地──逃れたエジプトでゴセンの地を与えられる(創世記46章47章)

ヤコブの晩年に、世界的な飢饉がおこりました。そして飢饉に苦しむヤコブと兄弟たちをエジプトに迎え入れて助けたのは、その昔、兄たちの妬みを買ってエジプトに売られてしまった11番目の子のヨセフでした。ヤコブはヨセフが死んだと思っていたのですが、神の不思議な導きでヨセフはエジプトの宰相にまで上り詰めていました。売られて、死んで(死んだようになって)、後に民族を助けるというヨセフの生涯は、イエス・キリストによる救いの雛形とも言われています。
ヨセフがエジプト王パロに5人の兄弟を引き合わせる場面がありますが、そこで彼らは次のようにパロに語っています。

パロはヨセフの兄弟たちに言った、「あなたがたの職業は何か」。彼らはパロに言った、「しもべらは羊を飼う者です。われわれも、われわれの先祖もそうです」。 
彼らはまたパロに言った、「この国に寄留しようとしてきました。カナンの地はききんが激しく、しもべらの群れのための牧草がないのです。どうかしもべらをゴセンの地に住ませてください」。 
パロはヨセフに言った、「あなたの父と兄弟たちとがあなたのところにきた。 
エジプトの地はあなたの前にある。地の最も良い所にあなたの父と兄弟たちとを住ませなさい。ゴセンの地に彼らを住ませなさい。……」
(創世記47:3~6)

ゴセンの地を勧め、そのようにパロに言うように知恵を与えたのはヨセフでしたが、ヤコブ一族の歴史と実態と、語った言葉とは大きく違ってはいなかったのではないでしょうか。

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まとめ

この後、400年の時を経て、ユダヤ人はエジプトを脱出して、荒野(シナイ半島)で40年の時を過ごし、約束の地カナンに帰還していきます。水と食料には苦労した様子が書かれていますが、神様のご介入により必要は満たされていきました。そして、アブラハム以来培われた遊牧生活の知恵が40年の荒野の生活の下支えになることも、神は知っておられたのかもしれません。
また、荒野の40年の間に、神とユダヤ人との契約が明確にされていきますが、罪のための生贄として牛や羊、山羊などが指定されるのは、それらが彼らの生活の中で生み出される生産物の初物であり、彼らが遊牧生活を基調としていたゆえであることを物語っています。

ところで、モンゴルやベドウィンの遊牧生活を研究するため、あるいは、その生活に興味をもってそこに飛び込んで、長期にわたり生活を共にした人たちは、こぞって現代社会の都会での生活にはない幸福感がそこにはあると指摘しています。
家畜の必要にあわせて移動を繰り返す彼らの生活には、それこそ「余計なモノ」は存在せず、少なくとも物欲からの自由を得ているかもしれません。
彼らにとって大切なのは、自分や家族、家畜たちそのものであり、シンプルな生活ではあるが、一方で明日をも知れない過酷さもある。一日を終えて空を見上げれば無数の星、ほっとして今日の一日を感謝する。唯一絶対の神の存在が肌で感じられ、また素で向き合う条件がそこには揃っているのかもしれません。
そんな中で、神様はアブラハムに現れ、また彼も神様との関係を大切にしたことで祝福を得て、その祝福は世界へと広がっていきました。最後にアブラハムが神様と契約を交わした場面を読みましょう。
星空

そして主は彼を外に連れ出して言われた、「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい」。また彼に言われた、「あなたの子孫はあのようになるでしょう」。 
アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた。 
また主は彼に言われた、「わたしはこの地をあなたに与えて、これを継がせようと、あなたをカルデヤのウルから導き出した主です」。 
彼は言った、「主なる神よ、わたしがこれを継ぐのをどうして知ることができますか」。 
主は彼に言われた、「三歳の雌牛と、三歳の雌やぎと、三歳の雄羊と、山ばとと、家ばとのひなとをわたしの所に連れてきなさい」。 
彼はこれらをみな連れてきて、二つに裂き、裂いたものを互に向かい合わせて置いた。ただし、鳥は裂かなかった。
荒い鳥が死体の上に降りるとき、アブラムはこれを追い払った。 
日の入るころ、アブラムが深い眠りにおそわれた時、大きな恐ろしい暗やみが彼に臨んだ。 
時に主はアブラムに言われた、「あなたはよく心にとめておきなさい。あなたの子孫は他の国に旅びととなって、その人々に仕え、その人々は彼らを四百年の間、悩ますでしょう。 
しかし、わたしは彼らが仕えたその国民をさばきます。その後かれらは多くの財産を携えて出て来るでしょう。 
あなたは安らかに先祖のもとに行きます。そして高齢に達して葬られるでしょう。
四代目になって彼らはここに帰って来るでしょう。アモリびとの悪がまだ満ちないからです」。
やがて日は入り、暗やみになった時、煙の立つかまど、炎の出るたいまつが、裂いたものの間を通り過ぎた。
その日、主はアブラムと契約を結んで言われた、「わたしはこの地をあなたの子孫に与える。エジプトの川から、かの大川ユフラテまで。 
すなわちケニびと、ケニジびと、カドモニびと、ヘテびと、ペリジびと、レパイムびとアモリびと、カナンびと、ギルガシびと、エブスびとの地を与える」。
(創世記15 :5~21)

次回は、良き羊飼いについて、主に新約聖書から見ていきたいと思います。
ではまた。

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