こんにちは、ノイです。
前回は、イエス・キリストによって開始された福音宣教の働きが、弟子たちに引き継がれるところまでを見ました。 前の記事でイエスが昇天前に弟子たちに残した約束の言葉はこうでした。
ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう。
使徒行伝1章8節
そして、この出来事が五旬節の日に弟子たちの上に成就し、約束の聖霊が激しく彼らに降(くだ)りました。これを「ペンテコステ」と言い、この日から使徒たちによる力強い宣教の働きが始まったのです。このことは、聖霊が「イエスの証人」となる力の源であることを示しています。ペンテコステの日、イエスに代わって、聖霊がクリスチャンを通して働かれる時代に突入したのです。
日本海を見て育つ。 幼い頃、近所の教会のクリスマス会に参加し、キャロルソングが大好きになる。 教会に通うこと彼此20年(でも聖書はいつも新しい)。 好きなことは味覚の旅とイギリスの推理小説を読むこと。
「ペンテコステ(五旬節)」は、クリスマス(降誕祭)、イースター(復活祭)とともに、キリスト教の三大祝祭であり、「聖霊降臨祭」と言います。また、宣教の働きが始まるとともに、教会が建てられていく出発点でもあったことから、「教会の誕生日」とも呼ばれています。
ペンテコステの日に起こった出来事について、『使徒行伝』には次のように記録されています。
五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。
また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。
すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。
使徒行伝2章1~4節
「激しい風が吹いてきたような音が天から起って」、「舌のようなものが、炎のように分れて現れ」とありますが、これらは神の霊、聖霊が降(くだ)ったことを意味しています。イエスはこのことを「聖霊のバプテスマ」と表しました(使徒行伝1章5節)。
イエスは苦難を受けたのち、自分の生きていることを数々の確かな証拠によって示し、四十日にわたってたびたび彼らに現れて、神の国のことを語られた。そして食事を共にしているとき、彼らにお命じになった、「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい。すなわち、ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう」。※太字は筆者による
使徒行伝1章3~5節
聖霊のバプテスマを受けた使徒たちが「いろいろの他国の言葉を語り出す」という現象が起こったその日、エルサレムは、「七週の祭り」に参加するためにユダヤ以外に住んでいる沢山の離散ユダヤ人が集まって来ていてごった返していました。(この「七週の祭り」については、後ほどお話したいと思います。)
さて、エルサレムには、天下のあらゆる国々から、信仰深いユダヤ人たちがきて住んでいた※が、この物音に大ぜいの人が集まってきて、彼らの生れ故郷の国語で、使徒たちが話しているのを、だれもかれも聞いてあっけに取られた。
そして驚き怪しんで言った、「見よ、いま話しているこの人たちは、皆ガリラヤ人ではないか。それだのに、わたしたちがそれぞれ、生れ故郷の国語を彼らから聞かされるとは、いったい、どうしたことか。わたしたちの中には、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人もおれば、メソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者もいるし、またローマ人で旅にきている者、ユダヤ人と改宗者、クレテ人とアラビヤ人もいるのだが、あの人々がわたしたちの国語で、神の大きな働きを述べるのを聞くとは、どうしたことか」。※太字は筆者による ※「住んでいた」とは「長期的に滞在していた」ことを意味する。
使徒行伝2章5~11節
この「七週の祭り」のために、パルテヤ(現イラン)やポント(現トルコ)、エーゲ海に浮かぶクレタ島など、実に様々な国から集まっていたユダヤ人が、エルサレムで自分たちの出身地の言葉を話すガリラヤ人の使徒たちを見てびっくりしている様子がわかります。
そして、使徒たちが語っていたことは「神の大きな働き」、つまり「福音」だったのです。
【ガリラヤ地方】
イエス・キリストの宣教活動の中心地であったガリラヤは、イスラエル北部に位置し、当時は「地方」といったイメージだったようです。気候は温暖で農耕に適した美しいこの土地は、イエスが行った数々の奇跡の舞台となっています。イエスが湖面上を歩いたイスラエル最大の淡水湖、ガリラヤ湖のそばには、イエスゆかりの教会がいくつも立ち並んでいます。
当時、多くのユダヤ人がイエスの癒しや奇跡、復活について見聞きし、実際に体験していました。その人々が使徒たちの説教を聞いて、イエスが成した一連の出来事が預言の成就であったことを理解し、イエスが本当に「神の子」であり、「救い主」だと悟ったのです。
福音を聞いたユダヤ人のうち、3千人もの人が悔い改めてバプテスマを受け、イエスの名のもとに一つの共同体が生まれました。
ペンテコステの日、聖霊の働きによって、初代教会がエルサレムに誕生したのです。
そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた。みんなの者におそれの念が生じ、多くの奇跡としるしとが、使徒たちによって、次々に行われた。
信者たちはみな一緒にいて、いっさいの物を共有にし、資産や持ち物を売っては、必要に応じてみんなの者に分け与えた。そして日々心を一つにして、絶えず宮もうでをなし、家ではパンをさき、よろこびと、まごころとをもって、食事を共にし、神をさんびし、すべての人に好意を持たれていた。
そして主は、救われる者を日々仲間に加えて下さったのである。
使徒行伝2章42~47節
聖書では、教会を語るとき「身体」に例えることがあります。 手や目、耳や足など、異なった各パーツによって一つの身体が形作られているように、信徒は皆違っていますが、聖霊によって、一つの共同体、教会となる、ということです。 『使徒行伝』に書かれているように、一人ひとりが聖霊に満たされるとき、「心を一つにして」神のもとに集うことができます。
からだが一つであっても肢体は多くあり、また、からだのすべての肢体が多くあっても、からだは一つであるように、キリストの場合も同様である。なぜなら、わたしたちは皆、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によって、一つのからだとなるようにバプテスマを受け、そして皆一つの御霊を飲んだからである。※太字は筆者による
コリント人への第一の手紙12章12~13節
【教会】
『使徒行伝』で「教会」という言葉が登場するのは5章に入ってからです。「教会」はギリシヤ語で「エクレシア」と言い、「主によって呼び出された、召し出された者たちの集まり」という意味を持っています。最初はユダヤ人だけでしたが、宣教の働きが拡大するにつれ、ユダヤ人以外の民族も教会のメンバーとなっていくのです。
さて、ここでペンテコステについて、もう少し深堀りしてみたいと思います。
イスラエルには、旧約聖書のレビ記で神によって定められ、紀元前から現代に至るまで守られている七つの祭りがあります。前段で触れたように、聖霊の降臨があった日に行われていた「七週の祭り」もその一つです。
「過ぎ越しの祭り」、「種なしパンの祭り」、「初穂の祭り」、「七週の祭り」の四つは、春に行われる例祭です。
人々は神の救いの業や穀物の収穫を年間行事として祝うことで、救い主である神に改めて感謝を捧げてきたのですが、実は、これらの祭りには、さらに深い神のメッセージが込められていたのです。
たとえば、「過ぎ越しの祭り」はすべての人の身代わりとなって罪を贖ったイエスの死を、「初穂の祭り」はイエスの復活を意味しており、これら春の祭りは、地上におけるイエス・キリストの生涯を預言しています。
では、「七週の祭り」は何を意味しているのでしょうか?
「初穂の祭り」から50日後に定められている祭りが「七週の祭り」で、ギリシヤ語で「50」を意味する「ペンテコステ」とも呼ばれます。
実際に、『レビ記』に書かれた「七週の祭り」に関する定めを読んでみましょう。
すなわち、第七の安息日の翌日までに、五十日を数えて、新穀の素祭を主にささげなければならない。
またあなたがたのすまいから、十分の二エパの麦粉に種を入れて焼いたパン二個を携えてきて揺祭としなければならない。これは初穂として主にささげるものである。
レビ記23章16~17節
「七週の祭り」では二つのパンを神に捧げなさい、と定められていますね。この二つのパンとは、「ユダヤ人」と「異邦人」を意味しています。区別されていた二つの民が、「七週の祭り」で神に捧げられるのです。
これは、ユダヤ人であっても、ユダヤ人以外の民族、つまり異邦人であっても同じように神のものとなるということです。
また、新約聖書で、イエスが「死者の中から復活した最初の人」であることを「初穂」という言葉で表しているように、「初穂の祭り」はイエスの復活を意味しています。
その「初穂の祭り」の50日後に行われる「七週の祭り」は、ユダヤ人と異邦人に、初穂となったイエスに続く復活がある、ということを示しているのです。
復活は、イエス・キリストの一度きりの出来事ではなく、私たちにも将来必ず起こることです。人は死んで終わり、ではないのです。
【異邦人】
「神の国と縁のない人」という意味で、ユダヤ人以外のすべての人を指します。創造主なる神によって選びだされたアブラハムを祖先とするユダヤ人は、神に与えられた律法を守り、民族の歴史を築いた一方で、異邦人は創造主なる神、また律法との関わりがない民として、ユダヤ人と区別されてきました。今でも、イスラエル以外の民族との結婚を認めない厳格なユダヤ人もいます。
ちなみに、秋の祭りである「ラッパの祭り」、「贖罪の日」、「仮庵の祭り」の三つは、今後、イエスが再び世に現れ、裁きを実行する「再臨」に関して預言しています。
驚くことに、創造主である神は事が起こる何千年も前から、人類の救世主であるイエスに関連した祭りを定めることで、救いの計画を示していたのです。
【復活】
人はこの地上で一度きりの人生を終えた後、復活し、永遠の世界で生きると聖書に書かれています。復活はキリスト教信仰の要であり、宣教の究極的な目的とも言えるでしょう。
もし死人がよみがえらないなら、キリストもよみがえらなかったであろう。もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになろう。そうだとすると、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのである。
もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる。しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。※太字は筆者による
コリント人への第一の手紙15章13~20節
◆例祭について詳しくはこちら。
◆聖書のパンについて詳しくはこちら。
ペンテコステの日に降った聖霊の働きは、イエスを証しすることです。
ユダヤ人と同じように異邦人をも御前に集められる神の愛は、「七週の祭り」で捧げるパンが一つではなく、二つであることに示されています。
そして、イエスの証し、つまり福音は、使徒を始めとする数えきれないほどの人々を通して働かれた聖霊によって、こうして私たちにも届けられたのです。
『使徒行伝』は、失われたすべての民をご自分のもとに引き寄せられる、神の愛の働きの証しでもあるのです。
悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。
使徒行伝2章38節
次回は、聖霊によって変化した使徒たちに注目し、エルサレムから始まって拡大していく福音宣教の働きを追っていきたいと思います。
【参考文献】『主の例祭からの考察』栄子・スティーブンス著 オメガ出版
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