天にまします我らの父よ―主の祈りの意味をわかりやすく解説

       
  • 2025/5/16
  • 最終更新日:2025/5/16

教会に行かれたことがある方なら、日曜日に礼拝で会衆と一緒に主の祈りを唱和しながら、「よく意味が分からないな・・・」と思ったことが、きっとあるでしょう。
いまだに文語訳の主の祈りを唱和している教会も少なくないため、言葉が古すぎることも、若い世代にとって分かりづらさの原因となっているようです。
ただ、主の祈り自体は、海外の映画やドラマ、小説などに時々出てくるため、クリスチャンでない日本人でも、「天にまします我らの父よ」から始まる主の祈りを聞いたことがある人は多いと思います。
そこで今回は、まず①主の祈りとは何なのかを説明し、その後で②主の祈りの特徴を述べ、そして、③主の祈りの一つひとつの言葉にはどんな意味があるかを2回に分けてわかりやすく解説いたします。
この記事を読むと、世界的に有名な主の祈りが何なのか、主の祈りにはどんな特徴があるのかを知り、そして、主の祈りの一つひとつの言葉を理解した上で祈ることができるようになります。
ぜひ、最後までご覧ください。


Kenji
Writer ProfileKenji

クリスチャン家庭に生まれ育つ。趣味は映画、ハイキング、ボードゲームなど。 神学校を卒業後、牧師として働いてきました。現在はフリーランスのWebライターとして働きつつ、神様の愛を伝えるために様々な活動をしています。イエス様といっしょに生きる素晴らしさをお分かちできたら、うれしいです!

 

①主の祈りとは何か?

1.主イエス・キリストが与えた祈りのお手本

主の祈りは、新約聖書で主イエス・キリストが弟子たちに教えた祈りです。
ですから、「主」の祈りと呼ばれています。
主イエスはマタイによる福音書6:9-13で主の祈りを教えました。

天にまします我らの父よ―主の祈りの意味をわかりやすく解説

9: だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。
10: 御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
11: わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。
12: わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。
13: わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。
(マタイによる福音書6:9-13)

クリスチャンたちは約2000年間、礼拝の時に主の祈りを共に唱えてきました。
主イエスを信じる人々が主の祈りを共に唱えるのは、素晴らしいことです。
この地上で最も美しい光景の一つと言っても過言ではありません。
ただ、イエスが主の祈りを教えた本来の目的は、礼拝の時に唱和するためというより、弟子たちに「祈りのお手本、型」を与えるためでした。
ですから、主の祈りの一つひとつの言葉に込められた意味を学んで、お手本である主の祈りに沿って自らの祈りを形づくっていくことが、主の祈りの本来の使用方法なのです。

2.主の祈りとその構成

主の祈りは、

呼びかけ 天にまします我らの父よ

6つの願い
1.ねがわくは御名〔みな〕をあがめさせたまえ。
2.御国〔みくに〕を来たらせたまえ。
3.みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
4.我らの日用の糧〔かて〕を、今日〔きょう〕も与えたまえ。
5.我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ。
6.我らをこころみにあわせず、悪より救い出〔いだ〕したまえ。

結びの言葉 国と力と栄えとは、限りなくなんじのものなればなり。アーメン。

で構成されています。
これらを一緒に学んで、祈りの生活を豊かにしていきましょう!
主の祈りの意味を知れば、礼拝で神の家族である教会の兄弟姉妹たちと唱和する時にも、さらに心を込めて祈れます。

②主の祈りの最大の特徴~神中心の祈り~

天にまします我らの父よ―主の祈りの意味をわかりやすく解説

では、まず最初に主の祈りの最大の特徴を説明いたします。
主の祈りの特徴は「神中心」の祈りです。
たとえば、主の祈りの6つの願いは、前半3つと後半3つに分けられますが、第1〜3の願いは神の栄光を求める祈り、第4〜6の願いは私たちの必要を求める祈りとなっています。
主の祈りは、まず神の栄光のために願い、神を優先順序の第一にしています。
そして、後半の私たちの必要のための願いさえも、実際は、神の栄光のために生きる私たちの必要を求める祈りです。
このように、主の祈り全体が神中心の精神で貫かれているのです。
普通、祈りは自分のために神に願うことだと考えられていますから、主の祈りは異質に感じられるかもしれません。
しかし、主の祈りは、自己中心の罪の生き方から、救い主イエスを信じて180度の方向転換をして、創造主のみもとに立ち帰った者たちの祈りです。
神中心であるのは、むしろ、当然です。
ですので、主の祈りは、自己中心の、自分の栄光を求める生き方をする人には異質で、理解不能でしょう。
しかし、創造主のみもとに帰り、神の栄光を求めるようになったクリスチャンには、祈る度に自分の新しい人生の目的に気づかせてくれる祈りなのです。
主の祈りは、クリスチャンの人生の目的と完全に一致しており、救い主イエスを信じて創造主と共に生きる者たちにまことにふさわしい祈りと言えます。
クリスチャンは、救い主イエスを通して自分たちを救ってくれた神の愛と恵みに感謝しつつ、神の栄光を求めて主の祈りを祈ります。
イエスを信じて天の神の子どもとされ、日々天の父に愛されて生きている者たちとして、天の父の御名が崇められ、天の父の御国が来て、天の父の御心が行われるようにと、心から祈るのです。

③主の祈りの意味の解説(前半)

主の祈りの「呼びかけ」、「6つの願い」、「結びの言葉」のうちの「呼びかけ」を解説いたします。

1.呼びかけ 「天にまします我らの父よ。」

「天にまします」の意味

「天にまします」は、少し古い日本語の言い回しですね。
「まします」は「いる」、「ある」の尊敬語で、「いらっしゃる」、「おられる」という意味です。
神に対する敬意を表すために使われています。
意味を現代の言葉で表すと、「天にいらっしゃる」、あるいは「天におられる」になります。
さて、神が「天に」いるというのは、神が空の上にいるという意味ではありません。
創造主がご自分の造った世界と人間を超越しているという意味です。
神は主権者であり、全能の力を持ち、威光と威厳と栄光に満ちた偉大なお方です。
神と比べられる存在は全宇宙に存在しません。
そして、神は罪に満ちた地上の世界とは異なり、圧倒的に聖(きよ)いお方でもあります。
人間が考え出す神々は、人間に似ていますね。
たとえば、ギリシャ神話の神々は、人間以上に人間臭いところがあり、道徳的に問題があります。
しかし、人間をお造りになった偉大な創造主は、道徳的に完全なお方です。
私たちが神について考える時、他の宗教や神話の神々のことを考えて、神の偉大さや道徳性について低く考えてしまうかもしれません。
しかし、聖書の教える神は、偉大な創造主、道徳的に完全なお方であり、私たちが畏敬の念を持つべきお方なのです。
主イエスが教えた主の祈りが私たちに与える喜びに満ちた驚きは、神が偉大で聖なるお方でありつつ、私たちの親しい父であってくださるということです。

イエスの神への呼びかけ「アバ、父よ」

イエスは天の神を個人的に父と呼びました。
そして、弟子たちにも神を父と呼ぶように教えました。
これは、イエスのユニークな教えです。
旧約聖書には、神を父と呼ぶ箇所がありますが、神の民イスラエルの創造者という意味であって、決して個人的な意味ではありませんでした。
イエスが現れるまで、誰も神を個人的に父と呼ばなかったのです。
偉大な創造主、主権者を父と呼ぶなんて、考えられなかったのでしょう。
それで、イエスの時代のユダヤ人宗教指導者たちは、イエスが神を父と呼んでいることを知って、非常にショックを受けました。
ユダヤ人の指導者たちは、イエスが神を父と呼んだために、イエスは自分を神と等しい存在と主張して神を冒涜していると誤解し、イエスを殺そうとした程でした。
実に、神を父と呼ぶ言葉がユダヤ教の祈りの中に出てくるのは、イエスの時代から1000年経ってからだと言われています。
イエスの教えがどれだけ独特無比であったかが分かるでしょう。
神を個人的に父と呼ぶことは、天地創造の前から永遠に父なる神と愛の交わりをしていた神の独り子イエスだけが語ることができた教えだったわけです。
さて、イエスは、天の神に「アバ」と呼びかけました。
「アバ」は、イエスが日常生活で使用していたアラム語では、子どもが父親に親しく呼びかける時に使う言葉でした。
イエスによると、神は正体のよく分からない超越的な絶対者ではなく、愛に満ちた天の父なのです。

天にまします我らの父よ―主の祈りの意味をわかりやすく解説

人間の親が自分の子どもを愛し、子どもの必要を考えるように、天の父は私たちの必要に関心を持ってくださるというのです。
一般的に、人間が神に祈る時、何とかして自分の方を向いてもらおう、関心を持ってもらおうと、一生懸命に努力します。
しかし、私たちはそんなことをしなくてもいいと、イエスは語ったのです。
天の父は私たちが願う前から私たちの必要をご存じである程に、私たちを愛し、私たちの必要に関心を抱いていてくださるからです。
子どもが親を無条件に信頼するように、私たちは天の父の愛と保護を信頼して祈っていいと、イエスは教えてくれました。
愛に満ちた天の父を信頼して祈れるのは、本当に幸せなことですね。

「我ら」の父よ

「天にまします『我らの』父よ」という呼びかけの言葉からわかるように、主の祈りは「私個人」の祈りを超えて、私たちの共同の祈りです。
私たちが「我ら」という視点で主の祈りを見直してみると、主の祈りの中に何度も「我ら」という言葉が出てくることに気づきます。
特に、後半の私たちの必要のための3つの願いは、全て「我らの」糧、「我らの」罪の赦し、「我ら」をこころみにあわせないでくださいという祈りです。
つまり、主の祈りはクリスチャン個人がささげる祈りではあっても、決して個人主義の祈りではないのです。
主の祈りは共同の祈りであり、「我ら」のために願う祈りなのです。
では、「我ら」とは、誰を指すのでしょうか?
「主の祈りの最大の特徴~神中心の祈り~」の「なぜ神を第一にして祈るのか?」でお伝えしたように、主の祈りは、主イエスを信じて神の子どもとされた者たちの祈りです。
神の子どもは自分一人ではありません。
同じくイエスを救い主、人生の主と信じて、神の子どもとされた他のクリスチャンたちがいます。

クリスチャンは、神を父とし、信仰の兄弟姉妹たちで構成される神の家族の一員です。
主イエスは、ご自分を信じる弟子たち、つまり、信仰の兄弟姉妹たちが、互いに愛し合うようにお命じになりました。

わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。
(ヨハネによる福音書13:34)

主イエスは、信仰の兄弟姉妹たちの間の兄弟愛を命じたのです。
主イエスが主の祈りで求めているのは、弟子たちが自分一人で、自分一人のためだけに願うのではなく、信仰の兄弟姉妹たちと共に、彼らのために兄弟愛をもって祈ることです。
私たちは肉親や血のつながった兄弟姉妹の健康、安全、病気の癒し、進学・就職・転職などの際の助けのために熱心に祈ります。
主イエスは、同じように、私たちが信仰による神の家族のためにも親身になって祈ることを求めているのです。
たとえば、自分自身は今、日々の食べ物には困っていなくても、信仰の兄弟姉妹で経済的に困窮していて、十分に栄養のある物を食べることができない方がいるかもしれません。
現在、自分は試練にあっておらず、順風満帆に人生を歩んでいても、信仰の兄弟姉妹の中には、激しい試練や逆境の只中にいる方がいるかもしれません。
そうした場合、私たちはその兄弟姉妹たちのために親身になって祈ることができます。
同じように、私たち自身が何かに困っていたり、試練に苦しんでいる時、信仰の兄弟姉妹たちが私たちのために祈ってくれるのです。
そして、当然、「我ら」には、日本に住むクリスチャンだけでなく、世界中のクリスチャンも含まれています。
信教の自由が認められている日本では、信仰のゆえに公に迫害されなくても、他の国ではイエスを信じているために村や町を追い出されたり、財産を略奪されたり、生命の危機にさらされているクリスチャンたちがたくさんいます。
私たちはイエスを信じる世界中の兄弟姉妹のためにも祈ることが求められているのです。
では、クリスチャンは、同じクリスチャンのためだけに祈ればよいのでしょうか?
聖書は、隣人愛も教えています。

主イエスは、神の律法、すなわち、神が人間に求めていることを、全身全霊を傾けて神を愛することと、自分自身を愛するように隣人を愛することの2つにまとめました。

イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
これがいちばん大切な、第一のいましめである。
第二もこれと同様である、
『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』」。
(マタイによる福音書22:37-39)

天にまします我らの父よ―主の祈りの意味をわかりやすく解説

私たちが主イエスの教えた隣人愛を心に留める時、クリスチャンのためだけに祈るのではなく、この地球上に生きる全ての隣人たちの必要のためにも祈ることが求められていると分かるのです。
信仰や価値観は異なっても、同じ国、同じ星に生きている、いや、創造主によって生かされている人々のためにも祈りましょう。
身近な人たち、そして、一度も見たこともない遠い国の人々のためにも祈りましょう。
自然災害、戦争、飢餓など、この世界には多くの苦しみや悲しみがありますが、神は今も生きています。
世界は私たちが神にささげる祈りを必要としています。
ここまで解説してきたように、主の祈りは、天の神を父とする「我ら」の祈りです。
この「我ら」の祈りとしての主の祈りを体感できるのが、キリスト教会の礼拝です。
主イエスは、クリスチャンたちに祈りの手本、型として主の祈りを与えましたが、キリスト教会が約2000年間、礼拝で共に主の祈りを唱えてきたのは、「我ら」の祈りとして主の祈りを与えた主イエスの意図を見事に汲み取った伝統と言えます。

ぜひ、礼拝で主の祈りを唱える時、「我ら」ということを意識して祈ってみてくださいね。
後編では、「主の祈りの意味の解説」の残る2つ、6つの願いと結びの言葉を取り上げます。
どうぞそちらもご覧ください。


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