【特別コラム】Remember who you are (あなたが誰であるかを忘れるな)ナイトde ライト 田中満矢

 

雑誌『舟の右側』からお届けする特別コラム

舟の右側今回は特別コラムとして、キリスト教雑誌『舟の右側より、記事を一部抜粋してお届けします。
『舟の右側』は、私たちのミッションパートナー「地引網出版」が発行している、牧師をはじめとする教会の指導者や、信徒のための雑誌です。2024年1月から持ち歩きやすいハンドサイズにリニューアルしました。

『牧師の自己ケアのために』(「タリタ・クム」代表 岩上真歩子)、『「牧師」になる船旅』(ホノルルキリスト教会牧師 関真士)、『神を愛するための教理問答』(苫小牧福音教会牧師 水草修治)、『学生宣教のリアル』(KGK主事 山形 宣洋)などなど、伝道の第一線で活躍する筆者たちによる指導者を信仰的に力づけるコンテンツが盛りだくさんです。

今回ご紹介するコラムは、そんな連載の一つ『Worship~幕屋に学ぶ心と実践~』から、2024年1月号に掲載されたものです。
牧師であり、クリスチャンの人気ロックバンド「ナイトde ライト」でドラマーとしても活躍する田中満矢師が、「幕屋」をひとつのテーマとして連載しているコラムです。どうぞお読みください!

 

Remember who you are (あなたが誰であるかを忘れるな)

Worship
 ‘Remember who you are’ そう言ったのは映画『ライオン・キング』に出てくるムファサ王でした。息子であるシンバは、偉大な王である父を亡くし、次の王として立とうとしますが、父のような威厳もなければ、力もない自分にすっかり自信を無くし、肩を落としていました。そのときラフィキというお猿さんが「父さんに会わせてあげよう」と言って、シンバを水辺に連れていくのです。水面に映った自分の顔を見てシンバは残念そうにつぶやきます。「違うよ、これは僕の父さんじゃない。僕の顔が映っているだけだ。」しかしラフィキは言います。「いいや、よく見ろ。父さんは、お前の中に生きている。」その時、天が開けて父の声が響くのです。

「息子よ。私を忘れたのか。自分が誰であるのかを忘れることは、父である私を忘れることだ。弱々しいお前は本当のお前ではない。生きるべき世界で役目を果たせ。Remember who you are」(お前が誰であるのかを忘れるな)

 2024年の幕が開け、これから新しい歩みがスタートしていきます。そのとき大切なのは、自分が誰であるのかをしっかり受け取って歩むことです。それは自分がイメージする自分ではなく、人が貼り付けた肩書きでもなく、天の父なる神が、あなたを何と呼んでいるかを知ることです。その眼差しに自分がどう映っているかを知ることです。そしてその眼差しに映る自分で生きるということです。あの放蕩息子は父から離れて歩んだ末に、自分を「雇い人の一人」と呼びました。罪とは、自分が誰であるのかわからなくさせる力だからです。

 振り返ると私は、自分を好きになれない十代を過ごしました。自分の過ち、弱さを受け入れることのできない人間でした。キリストの話はよく聞いていました。なぜなら、親が牧師だったからです。一軒家の二階が田中家、一階が教会という環境でした。教会にドラムがあったことがドラムと出会うきっかけでした。でも、高校生の頃は友達を教会に呼んで、賛美歌どころかX JAPANの紅くれないを歌ってました。「紅に染まったこの俺を!」教会から聞こえてくる音楽がX JAPANの紅です。キリストの十字架の赤い血で清められたという意味では神学的に間違いではなかったかもしれませんが……。

 そんな私はある牧師先生が語ったみことばと出会い、それが心に刺さったのです。

「わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか。』 しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』」(マタイ7・21—23)

 その時、神様から「わたしはあなたを全然知らない」と言われた気がしたのです。「そんなわけはない!」と思いました。私は教会で育ったようなもの。キリストが何をしたのかも、何を言ったのかも知っている。暗誦聖句だって言える……。しかしその時、神の切なる思いが迫ってきたのです。「知識のつながりじゃない。頭と頭のつながりじゃない。わたしはあなたと生きた関係を結びたいんだ!」という愛の叫びとして響いたのです。

 あなたには好きな有名人がいるでしょうか? 高校生の頃の私はPUFFYのあみちゃんが大好きでした。あみちゃんのことなら何でも知っていました。1973年9月18日生まれ、血液型はA型。身長155センチ。趣味は「暗いこと全般」。本名は小橋亜美。飼っていたうさぎの名は「チョビン」。何でも聞いていただきたい。でも、道端で出会って「あみちゃん! チョビン元気?」って聞いたら、(何、この人。こわい!)と思われるでしょう。関係がないからです。あみちゃんと一度も会ったことはない。話したこともない。一緒にご飯食べたり、買い物したり、ましてや一回喧嘩して仲直りして絆を深めるような経験なんて一度もない。神様はその時、私に迫ったのです。「わたしとあなたとの間にも同じようなことが起こっているじゃないか」と。ハッとしました。自分はイエス様について知ってはいた。でも、関係を結んでいなかったと。あぁ、キリスト教は宗教じゃない。生きた神との愛の関係なんだと気づきました。

 それから私は、神様と一対一の関係を築きたいと思いました。人が言うからでも、環境が勧めるからでもない。自分で主と出会いたい。そう願いながら毎朝聖書を開き、主と一対一の時間を過ごすようになりました。私の人生が変わっていったのは特別な学びでも集会でもありません。ただ、主と過ごすひと時でした。友達と一緒に過ごせば過ごすほど、自分が思う自分と、友達から見る自分は少し違うことに気づきます。自分としては「ここが嫌いだ」って思う部分も、「むしろそこがお前のいいところじゃん」ということがあります。同じように、神様と過ごせば過ごすほど、神様の眼差しに自分がどう映っているのかを知るようになっていきました。自分の目から映る自分は受け入れがたかった。でも、このお方の眼差しに映る自分はどれほど尊くて、どれほど愛おしくて、十字架でいのちを捨てるほどに愛し抜いた存在であったのか。依然として小さく弱く愚かな自分なのに、すべて知って見抜いてもなお、何かとてつもない価値のある宝のように見つめてくれている眼差しに気づくとき、立ち上がる力が湧き上がってきました。いつしか主と過ごすひと時が、生活の中で何よりの喜びの時間となっていったのです。そして「あぁ、私はもう自分の目から見る自分ではなく、このお方の眼差しに映る自分で生きたい」と願うようになっていきました。初めて自分を受け入れ、愛することができた瞬間でした。

 それだけじゃなく、情熱の対象であった音楽をする意味が与えられた瞬間でした。自分に与えられている音楽で、このお方へ賛美を表現していきたい。言葉が終わるところから音楽が始まるように、言葉では収まらない溢れる感謝と賛美を、音にして捧げていきたい。それだけじゃなく、音楽の力を用いて、目の前にいる人を主を賛美する心に導いていきたい。神と人を愛し、神と人に仕える道具として、自分にはドラムが与えられているんだと気づいたとき、人生を捧げる価値があると思いました。主の臨在には人を救う力がある。癒やしと解放、慰めと勝利がある。自分の人生を変えたこのお方の臨在へ、今度は目の前の人々をお連れしたい。このためなら音楽をやる意味がある。人生を捧げる価値がある! そう燃えた日のことを、今でもはっきり覚えています。そしてその情熱は今も変わらず燃え続けています。私の叩くドラムの一打一打を、主への告白としてささげます。音楽は単なる物理学の波形にすぎません。しかし、主への賛美は、音を超えて言葉となり、ささげ物となり、霊とまことによる礼拝となっていきます。主は私たちの賛美の中に住んでくださいます。主を賛美するあなたがいるところすべてに主の臨在が共にあるのです。主はそのささげ物を五つのパンと二匹の魚のように祝福し、増やし、多くの人々の霊と心を満たすために用いてくださるのです。

 今から12か月の旅路を通して共に受け取っていきたい「聖書が語るあなた」があります。それは、祭司としてのあなたです。

しかし、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。(Ⅰペテロ2・9)

 聖書の中には、ワーシップリーダーという言葉も、賛美奉仕者という言葉も出てきません。出てくるのは「祭司」という言葉です。それは、牧師やリーダーだけに適用されるものではなく、主イエスを信じるすべての者に開かれた使命であり特権です。あなたを通して主と出会う人がいる。あなたを通して主の臨在に入って行くたましいがある。幕屋とはヘブライ語で「ミシュカン」、その意味は「住居、住まい」という意味です。主が豊かに臨在される住まいを建て上げていく者、礼拝の本質である主との交わりに民を導き入れていく者、それが祭司であり、私たちに与えられた役割なのです。私たちは誰かの召しを生きることはできません。しかし、主が召されたあなたを生きることができます。この召しを全うするに必要なすべては、主ご自身が備えてくださっています。

 次回は祭司の役割をお伝えします。主の箱を担ぐ祭司の足がヨルダン川の水の中に降ろされた時、乾いた地が顔を出して渡ることができたように、あなたの新年に主がともにおられ、あなたの信仰の一歩に主が道を開いてくださいますように。御名によってお祈りします。


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『舟の右側』毎月27日発行 A5判・約80頁/770円(税込)

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