聖書から読み解くクリスマスとは?起源や歴史について解説。【教会のクリスマス①】

聖書から読み解くクリスマス

Taroです。
今日はクリスマスのことをお話します。
今年も間違いなく12月にはやってきますね。誰もが知っているクリスマスですが、当たり前のようになっていることでも「実は本当にはよく知らない」ということが沢山ありますよね。
今日はクリスマスにまつわるそんないくつかのことを、聖書からあれこれ見ていきたいと思います。


Taro
Writer ProfileTaro

プロテスタント教会の信徒で新生宣教団の職員。前職から印刷に関わり活版印刷の最後の時代を知る。 趣味は読書(歴史や民俗学関係中心)。明治・江戸の世界が垣間見える寄席好き。カレー愛好者でインド・ネパールから松屋のカレーまでその守備範囲は広い。

 

そもそもクリスマスとは? 何がめでたい? 何を祝っているの?

クリスマスって何?クリスマスはイエス・キリストの誕生をお祝いする日です。
でも何だか不思議ですね。私たちは家族でも友人でも誰かの誕生日をお祝いしてあげます。それはその人の存在を感謝するとともに一年の健康を願い、祝福する意味でなされると思うのですが、イエス様に対してお誕生おめでとうというのも何だか変ですよね。
その季節、世界中でお祝いムードになりますが、多くの人がクリスマスを祝い喜ぶのはどうしてなのでしょう。

クリスマスの語源は?

クリスマス(Christmas)とは、Christ(キリスト)とmass(ミサ)が一つになった言葉です。
ローマ教会においてミサの中心は聖体拝領(プロテスタントでは聖餐式)だと言われます。つまり、受難前夜にイエス・キリストが「これを記念に行うように」とパンとぶどう酒を弟子たちに分かち与えて共に食したのが最後の晩餐ですが、それが引き継がれ体現されてきた儀式がミサ(聖餐式)なのです。キリストの十字架を覚えてその恵みにあずかる儀式なのですが、そうすると、クリスマスとは、「キリストのミサ(聖餐)」というのが本来的な意味になるのですね。
●「聖餐式」について詳しくは、こちらの記事もお読みください。

 

イエス・キリストの誕生は何のため?

「最後の晩餐」にも由来が

過越しクリスマスの語源、キリストのミサ(聖餐)の由来は「最後の晩餐」にあるとのことですが、さらにそれはユダヤ教の大切な祭「過越(すぎこし)の祭」が下地になっています。
昔ユダヤ人がエジプトの奴隷となっていた時、モーセの指導でエジプトを大脱出する出来事がありました。その際に、脱出を阻もうとするエジプト王に対して、「ユダヤ人の解放を許さないなら、国中の初子(ういご)を打つ」ということと、ユダヤ人に対しては「子羊の血を家々の門口につけるならばその災いは過ぎ越される」という神様からの警告がありました。

最後の晩餐ユダヤ人たちはその教えに従ってエジプトからの脱出ができたのですが、それはユダヤ民族にとって記念となり、「いけにえ」をささげ、子羊(犠牲の象徴)、種入れぬパン※(慌ただしく出立した象徴)と苦菜(にがな:奴隷時代の苦しみの象徴)を食す「過越の祭」は大切に引き継がれていきました。キリストの「最後の晩餐」も実はこの「過越の祭」の食事だったのです。
※パンの「種」とは、パンを発酵させる酵母のことです

クリスマスを祝う理由

イエス・キリストは「最後の晩餐」で、パンを自らの体になぞらえ、ぶどう酒を自らの血になぞらえ、ご自身が人々の罪を贖(あがな)う「いけにえ」の子羊となることを言い表されて、翌日には十字架にかかられるのですが、キリストの受難は「過越の祭」の最中に行われたのです。
それによって「罪の裁きから逃れるための、新たな過越のいけにえは私だ」ということを示されたのですね。

次のような聖書の言葉があります。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネの福音書3:16)

キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。
(ピリピ人への手紙2:6~8)

神様が、愚かで間違いの多い私たち人間を愛して、罪を赦し、神の子とするために「傷のない完全なるいけにえ」として地上に贈ってくださったプレゼントがイエス・キリストだと言うのです。

クリスマスは勿論キリスト教国で祝われるようになり、世界中に広まっていますが、その喜びの源(みなもと)は、このプレゼントを一人ひとりが心に受け入れるところからきているのです。「イエス様。誕生日おめでとう!」と言うより、「私のために貴重なプレゼントをありがとうございます。神様。あなたを崇めます!」というのがクリスマスを喜びあう源泉だったのですね。

 

クリスマスの出来事

では、聖書ではクリスマスについてどのように書かれているのでしょう。
旧約聖書ではイエス・キリストの誕生から復活、昇天にいたるまでおよそ350にも及ぶ預言がなされていて、それらの成就を新約聖書から見ることができます。キリスト降誕にまつわる具体的な記述もいくつもあるのですが、その代表的なものを見てみましょう。

イエス・キリストの誕生は預言されていた?

場所の預言

イエス・キリストが誕生した様子は新約聖書のルカの福音書の2章に詳しく記されていますが、生まれた場所はユダヤのベツレヘムというところでした。
それは、その700年も前に旧約聖書のミカ書5章2節で預言されています。

ベツレヘム・エフラタよ、あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。(ミカ書5:2)

処女降誕の預言

レオナルド・ダビンチ受胎告知処女マリアへの受胎告知のシーンは聖画などでもよくご存知のことでしょう。新約聖書のルカの福音書1章の26~35節や、マタイの福音書1章18節などで知ることができます。
そのことは、旧約聖書のイザヤ書7章14節に書かれています。これも紀元前700年頃に書かれたと言われています。

それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。(イザヤ書7:14)

 

イエス・キリストは馬小屋で生まれた?

馬小屋ではなく家畜小屋?

聖書の記述では、

ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで、飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。(ルカの福音書2:1~7)

とあるので、普通の部屋ではないことは間違いないでしょう。ただ、馬は当時のユダヤでは兵役用とか貴族のための貴重な動物だったと思いますので、実際は羊やロバ、牛などの家畜小屋ではなかったかと思います。おそらく日本人には家畜小屋=馬小屋のイメージが強く、文語訳聖書も飼い葉桶を馬槽(まぶね)と訳していることから日本では馬小屋が定着したのではないでしょうか。

なぜ飼い葉桶に寝かされた?

家畜小屋がどのような形態だったかはよく分かりません。松尾芭蕉が奥の細道で経験した(蚤虱、馬の尿する枕もと)ような、住居と家畜が一つ屋根で過ごすような場所だった可能性もあるし、石灰岩の地質ゆえに洞窟のような場所だったという説もありますね。飼い葉桶も石に溝をつけたものだったのではと言われています。

羊飼いたちの礼拝

いずれにしても、生まれたばかりのイエスがそのようなところに寝かされたのは、この世の最も底辺にお下りになったことの象徴のような気がします。この後、夜通し羊の番をしていた羊飼いたちによる最初の礼拝を受けるのですが、やはりその当時社会的に貧しい身分とされていた彼らが礼拝することができたのは、そのような場所だったからこそだと思うのです。

飼い葉桶に寝かされたもう一つの意味

イエス・キリストがこの世に下られた大切な目的は、人々の罪を背負って、自ら身代わりの刑罰を受けるためでした。聖書のその他の箇所にあるように、罪の贖いの代価は、家畜の初子を捧げ祭壇にその血を注ぎかけることが基本でしたから、イエス・キリストが「いけにえの家畜」として世に下りてこられたことの象徴ではないかとも思うのです。

また、雄やぎと子牛の血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度だけ聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられました。(ヘブル人への手紙9:12)

その翌日、ヨハネは自分の方にイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」(ヨハネの福音書1:29)

 

東方の三博士の礼拝

東方の博士クリスマスの記事でもう一つ有名なのが東方の三博士の礼拝の場面です。
聖書ではマタイの福音書2章1~12節に記されていて聖画などでもよく見る場面ですが、いったい東方の三博士とはどのような人たちだったのでしょう。

東方とはどこ?

聖書には東の方としか記載がないので断定できませんが、バビロニア地方ではないかと言われています。

博士とはどういう人?

おそらくは、ゾロアスター教系の祭司、占星術などで未来を予見する学者ではないかと言われています。ダニエル書などに出てくる呪法師などがそれにあたるのではないでしょうか。ユダヤ人は紀元前500年頃まではその地に捕囚の民として滞在していたので、その後もユダヤ民族の信仰や風習は残り、聖書(旧約)の預言にも接していた可能性もあると言われています。

東方の博士は3人だった?

これも、聖書には人数の記載がありません。彼らが、イエスと巡り会えて礼拝をささげたときに献げた贈り物が3種類(黄金・乳香・没薬)だったことから3人と言われるようになったと思われます。ただ、高価な贈り物を持参しての長旅を考えると3人だけということはなかったのではないでしょうか。

贈り物の意味は?

東方の博士の贈り物黄金は、今も昔も化学変化が起きにくい価値の変わらない鉱物で、王様に相応しい贈り物(王位の象徴)とされました。乳香は、香りを昇らせることから宗教的儀式で使われ、人々から神として崇められることを表し(神性の象徴)ています。没薬は、死者の埋葬に使われることから、人々の罪を背負って死なれることを表している(死の象徴)と言われています。
それぞれ金と同等の価値を持つ高価なものだったようです。
余談ですが、この後ヘロデ王により2才以下の赤子を皆殺しにせよという命令が出て、ヨセフ一家は難を避けるためにエジプトに逃げますが、この贈り物は、貧しい彼らの必要を助ける役割があったという説もあります。

東方の博士たちが礼拝した意味とは?

イエス・キリストの礼拝者が外国人(ユダヤ人からすれば異邦人)であったことも意味があると思われます。イエス・キリストはユダヤ人を超えて異邦人の救い主としてもこられたお方だからです。

 

12月25日(クリスマス)はイエス・キリストの誕生日ではない?

イエス・キリストの誕生の日にちも聖書に記載がありません。実は季節すらはっきりしていないのです。では、何故12月25日がクリスマスとなったのでしょうか。それは、12月25日が冬至でありその時から日が長くなることから、一年の初めであるその日が相応しいと考えられました。おまけに、それまでその日はミトラス教という異教徒の太陽神の祭りになっていたので、置き換えたということのようです。制定されたのは教皇ユリウス1世(在位337-352)のときだそうです。

 

サンタクロースはクリスマスと関係ない?

サンタクロースとは?クリスマスといえばサンタクロースが登場しますが、サンタクロースのモデルは、4世紀に東ローマ帝国(現トルコ)領ミラの司教だった聖(セント)ニコラウスです。社会的弱者を物心ともに援助したり冤罪(えんざい)から人々を守ったりしたことなどから、聖人と崇められるようになりました。たまたまこの人の命日が12月6日だったことから、ニコラウス司教にあやかり贈り物をする習慣と、クリスマスが結びついたものと思われます。ニコラウス司教はクリスマスシーズンだけ良きことをしたのではないのですが、彼の精神は十分にクリスマスに相応しいものと言えますね。
ちなみに、身売り寸前だった三姉妹を助けるために煙突から金貨を投げ入れ、暖炉に下がっていた靴下に入ったという故事がプレゼントを靴下に入れるという風習につながっていったようです。


いかがでしたか。あなたがクリスチャンであってもなくても、この神様の愛が注がれていることに変わりがありません。互いに喜び、暖かい気持ちでこの時期を過ごせたらいいですね。
次の時に、教会ではクリスマスをどのように迎えているのかなどをご紹介したいと思います。では。

聖書をマンガで読んでみる

●追記:教会のクリスマス②の記事はこちら!


・クリップアートを使わせていただきました http://mmbox.seesaa.net/(キリスト教クリップアートのサイト)

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