第6回(最終回) 『使徒行伝』―世界宣教のはじまり―

       
  • 2026/9/18
  • 最終更新日:2026/9/18
パウロが伝道旅行をした町々
パウロが伝道旅行をした町々
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こんにちは、ノイです。
ペンテコステの日に始まった聖霊による福音伝道の働きと、初代教会の歩みを記録した『使徒行伝』。
これまで5回にわたって、イエスの弟子たちによって福音がユダヤからシリア、小アジア、そしてヨーロッパ大陸まで広がっていった経緯をたどりました。
今回はいよいよ最終回です。
パウロの第二次・第三次宣教旅行とローマまでの旅路を追いながら、力強く聖霊に導かれた宣教の軌跡を見ていきたいと思います。


ノイ
Writer Profileノイ

日本海を見て育つ。 幼い頃、近所の教会のクリスマス会に参加し、キャロルソングが大好きになる。 教会に通うこと彼此20年(でも聖書はいつも新しい)。 好きなことは味覚の旅とイギリスの推理小説を読むこと。

 

マケドニヤにおける第二次宣教旅行

前回、第二次宣教旅行(A.D50~52年頃)で、神が示された幻に導かれて、パウロが小アジアのトロアス(現トルコ)からエーゲ海を越え、対岸のマケドニヤ(ギリシヤ)に渡ったところまでを見ました。
『使徒行伝』に記されている宣教はすべて、当時、広大な領土を統治していたローマ帝国内で行われています。
つまり、小アジアから渡ったマケドニヤも同じローマ帝国であり、ギリシヤ語という共通語で会話ができていたのです。
今の時代であれば、各国に跨(またが)る国境を越えて言語の違いを乗り越えなければならないところを、パウロたちは実にスムーズに進んでいくことができたのです。
ここに、神の計らいを思わずにはいられません。

 

ピリピでの宣教

エーゲ海を渡って辿り着いたのは、現在のギリシヤ北部にあるピリピでした。
『使徒行伝』16章には、ここで出会ったルデヤという女性の商人が福音を信じ、家族そろってバプテスマを受けたことが記されています。

ところが、テアテラ市の紫布の商人で、神を敬うルデヤという婦人が聞いていた。
主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに耳を傾けさせた。
使徒行伝16章14節

 
「ルデヤ(リディア)の洗礼」マリー・エーレンリーダー
「ルデヤ(リディア)の洗礼」
マリー・エーレンリーダー(1861年)

主がルデヤの心を開かれた、とあるように、聖霊の働きかけがあってこそ福音が人の心に届くのです。
彼女の家はこの地で最初の教会となり、使徒たちの宣教の働きを支援する大きな存在となっていきました。

妨害と迫害の中で起こる救いの業

一方、ピリピでは「占いの霊につかれた女奴隷」を通して、パウロたちの伝道を邪魔する悪霊の働きもありました。
イエスの名によって女性から悪霊は追い出されたのですが、この出来事が原因となってパウロたちは牢獄に入れられてしまいます。
このことは、宣教の働きには、人による迫害だけでなく、悪霊の妨害があるということを示しています。
しかし、悪い事からでも良い事を生み出す神によって、牢獄でパウロたちを見張っていた看守が一家そろって救われるという実りがもたらされたのです。 
この後、パウロはピリピからテサロニケに移り、テサロニケでの約一カ月間の滞在中にピリピ教会から二度の支援物資を受け取っています。
宣教のために惜しみなく捧げたピリピの信徒たちの信仰と愛は、パウロの心をどれほど力づけたことでしょうか。

またテサロニケでも、一再ならず、物を送ってわたしの欠乏を補ってくれた。
わたしは、贈り物を求めているのではない。わたしの求めているのは、あなたがたの勘定をふやしていく果実なのである。わたしは、すべての物を受けてあり余るほどである。エパフロデトから、あなたがたの贈り物をいただいて、飽き足りている。
それは、かんばしいかおりであり、神の喜んで受けて下さる供え物である。
ピリピ人への手紙4章16~18節

【ピリピ】
ピリピは自治権や税の免除があるなど、他の都市よりも優遇されたローマ帝国の主要な植民都市でした。退役軍人も多く、人々はローマ市民であることを誇りとしていました。パウロは、真の国籍が天にあることを覚え、神の民とされたことを誇りに思うようにと信徒たちに教えました。
「いつも主にあって喜びなさい」(4章4節)という有名な聖句が記された『ピリピ人への手紙』は、第三次旅行の後、ローマで軟禁されていたパウロが牢獄で書いたものです。

 

テサロニケでの宣教

テサロニケでは、短期間の宣教の働きであったにも関わらず、驚くほど豊かな実りがありました。
パウロがユダヤ人の会堂で、イエス・キリストが旧約聖書で預言された救い主であることを論証した結果、一部のユダヤ人と多くのギリシヤ人が信仰に入り、多民族から成る教会が誕生したのです。
しかし、ここでも激しい迫害に遭い、パウロはテサロニケを去ることになります。
信仰を持ったばかりの信徒たちのことを思うと気が気でなかったパウロでしたが、パウロたちが去った後も堅く信仰に立ったテサロニケの信徒たちは、周辺地域の模範となるほど成長していきました。
『テサロニケ人への第一の手紙』の冒頭からは、遠く離れた信徒たちの成長を知って、神への感謝と喜びに溢れるパウロの思いが伝わってきます。

わたしたちは祈の時にあなたがたを覚え、あなたがた一同のことを、いつも神に感謝し、あなたがたの信仰の働きと、愛の労苦と、わたしたちの主イエス・キリストに対する望みの忍耐とを、わたしたちの父なる神のみまえに、絶えず思い起している。…(略)…そしてあなたがたは、多くの患難の中で、聖霊による喜びをもって御言を受けいれ、わたしたちと主とにならう者となり、こうして、マケドニヤとアカヤとにいる信者全体の模範になった。
テサロニケ人への第一の手紙1章2~7節

【テサロニケ】
政治的・軍事的にもローマ帝国の重要な自由都市であったテサロニケは、商業や交通の要所として栄えました。
『テサロニケ人への手紙』からは、福音が広まりやすい一方で、反対する勢力も大きかったことを窺い知ることができます。パウロは書簡を通して、迫害の中でも信仰を守り続けるテサロニケの信徒たちを励ましました。

 

コリントでの宣教

これまで、迫害に遭っては別の場所に移動して福音伝道を行う、というパターンが続いていましたが、コリントでは「腰を据えた宣教」が行われました。
パウロが一年半の間、福音を伝えながら信徒たちを教えた結果、多民族からなる大規模な教会が築かれたのです。 
ただ、「コリント」という都市の特性もあって、教会の歩みは一筋縄ではいきませんでした。『コリント人への手紙』を読むとわかるように、問題だらけのコリント教会でしたが、それを上回る聖霊の力強い働きによって、成長を遂げて行ったのです。

神の励まし

コリントでもユダヤ人による迫害がありましたが、神はパウロに次のように約束し、その言葉通りに危険から守られました。

すると、ある夜、幻のうちに主がパウロに言われた、「恐れるな。語りつづけよ、黙っているな。あなたには、わたしがついている。だれもあなたを襲って、危害を加えるようなことはない。この町には、わたしの民が大ぜいいる」。
使徒行伝18章9~10節

 

イエスが地上で宣教活動をしていた間、弟子たちを度々励ましていたように、迫害を恐れるパウロに神は寄り添い、慰めと励ましを与えて導かれたのです。
また、行く先々で出会った弟子たちの存在も、パウロにとってなくてはならない大きな支えとなりました。
このように、神の豊かな励ましと、備えられた人々との出会いがあってこそ、パウロは怯(ひる)むことなく前進していくことができたのです。

【コリント】
ギリシヤ本土とペロポネソス半島を結ぶ地峡にあったコリントは、人の行き来が激しい商業都市でした。偶像崇拝と結びついた性的な慣習も蔓延(はびこ)り、住民の風紀が乱れていることで有名な街でもありました。教会内でも、分派による争い、貧しい人を軽視した食事の仕方など問題が絶えませんでしたが、パウロは変わらない愛で信徒たちを教え続けました。
『コリント人への手紙』は、復活といった神学的な事柄とともに、教会の現実的な問題を扱っており、後世の牧会(教会運営)においても重要な書簡となっています。

わたしは子供たちに対するように言うが、どうかあなたがたの方でも心を広くして、わたしに応じてほしい。
不信者と、つり合わないくびきを共にするな。義と不義となんの係わりがあるか。光とやみとなんの交わりがあるか。キリストとベリアルとなんの調和があるか。信仰と不信仰となんの関係があるか。神の宮と偶像となんの一致があるか。
わたしたちは、生ける神の宮である。
コリント人への第二の手紙6章13~16節

 
 

第三次宣教旅行

第三次宣教旅行(A.D53~57年頃)は、第二次宣教旅行とほとんど同じルートで行われました。
アナトリア半島(小アジア)にあるエペソでは、3年に及ぶ福音伝道によって、その後のアジア州全体における宣教の拠点となる教会が誕生しました。 
エペソでの働きの後、パウロたちは再びマケドニヤに渡り、アカヤ(アカイア)を巡って信徒たちを励まし、エルサレム教会を訪問して旅を終えました。

 

エペソでの宣教

パウロは他の都市と同じように、エペソでも最初のうちはユダヤ人が集まる会堂で伝道しましたが、反発があったために場所を移して福音を伝えました。 
そして、福音が広まるのと合わせて、パウロを通してさまざまな奇跡が起こり、神の力を目の当たりにした人々はイエス・キリストを主として信じていきました。 

神は、パウロの手によって、異常な力あるわざを次々になされた。
たとえば、人々が、彼の身につけている手ぬぐいや前掛けを取って病人にあてると、その病気が除かれ、悪霊が出て行くのであった。
使徒行伝19章10~12節

 

『使徒行伝』の5章12節でも「そのころ、多くのしるしと奇跡とが、次々に使徒たちの手により人々の中で行われた」と記されています。 
このように、使徒たちの福音伝道は、神によってなされる奇跡を伴っていたのです。 

弟子たちは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。
主も彼らと共に働き、御言に伴うしるしをもって、その確かなことをお示しになった。
マルコによる福音書16章20節

 

人々の変化と社会への影響

エペソは、古代アルテミス信仰の中心地で、魔術も盛んな街でした。
しかし、そのような土地であるにも関わらず、福音を受け入れた人々に驚くような変化が生じます。

また信者になった者が大ぜいきて、自分の行為を打ちあけて告白した。
それから、魔術を行っていた多くの者が、魔術の本を持ち出してきては、みんなの前で焼き捨てた。その値段を総計したところ、銀五万にも上ることがわかった。
使徒行伝19章18~19節

 
「エペソで説教する聖パウロ」ウスターシュ・ル・シュウール
「エペソで説教する聖パウロ」
ウスターシュ・ル・シュウール(1649年)

悔い改めて神に立ち返った多くの人に加えて、それまで魔術で生計を立てていた人々までもが悔い改めの告白をし、大量の魔術の本を自ら焼き捨てたのです。
このように、「その名(イエス)によって、罪のゆるしを得させる悔改めが、エルサレムからはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる」(ルカによる福音書24章47節)というイエスの言葉が、ここでも実現しています。
しかし、アルテミス信仰と結びついた商売で儲けていた銀細工人たちは、このような人々の変化によって商売が傾いたことで、パウロを迫害する騒動を起こしました。 
この騒動の中でも命が守られたパウロでしたが、エペソや他の地域で経験した苦難について、次のように書き残しています。

兄弟たちよ。わたしたちがアジヤで会った患難を、知らずにいてもらいたくない。
わたしたちは極度に、耐えられないほど圧迫されて、生きる望みをさえ失ってしまい、心のうちで死を覚悟し、自分自身を頼みとしないで、死人をよみがえらせて下さる神を頼みとするに至った。
神はこのような死の危険から、わたしたちを救い出して下さった、また救い出して下さるであろう。わたしたちは、神が今後も救い出して下さることを望んでいる。
コリント人への第二の手紙1章8~10節

 

パウロ自身もさまざまな局面を通りながら、神に対する信仰が深められていった様子が強く伝わってきます。 

【エペソ】
パウロの宣教の拠点となったアジア州最大の都市エペソは、女神アルテミスの聖地であり、偶像崇拝が非常に盛んな都市でした。
『ヨハネによる黙示録』で「アジアの7つの教会」として言及される教会は、このときの宣教で形成されています。多民族から成るこれらの教会は、後にパウロに代わってテモテが牧会し、使徒ヨハネも加わってその成長を助けました。

 

パウロに示された神の思い

ところでパウロはユダヤ人であり、しかも律法に精通しているパリサイ人でした。
新しい宣教地に赴くと、決まってユダヤ人の会堂で福音を宣べ伝えていたパウロでしたが、ユダヤ人だけではなく、律法を知らない異邦人にも福音を伝え、同じように信仰が成長するように教え、仕えました。
パウロは、ユダヤ人と異邦人、両者に対するどんな思いを抱いていたのでしょうか。

ユダヤ人と異邦人に対する思い

「あの人(パウロ)は、異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも、わたし(イエス)の名を伝える器として、わたしが選んだ者である。」(『使徒行伝』9章15節)と神が語ったように、異邦人の使徒として選ばれたパウロは、イエスと出会った後、全生涯をかけてその使命を全うしました。
その一方で、自分を迫害する同胞(ユダヤ人)についても望みを捨てず、神が顧みてくださることを信じ、民がイエスに立ち返ることを熱望していました。
これは、パウロのその切実な思いが表れている言葉です。

すなわち、わたしに大きな悲しみがあり、わたしの心に絶えざる痛みがある。実際、わたしの兄弟、肉による同族のためなら、わたしのこの身がのろわれて、キリストから離されてもいとわない。
ローマ人への手紙9章2~3節

 

パウロには、神の民として歩んできたユダヤ人と、神も律法も知らずにいた異邦人が、イエス・キリストのもとで一つとなる神の計画をはっきりと示されていました。

あなたがたは以前には、肉によれば異邦人であって、手で行った肉の割礼ある者と称せられる人々からは、無割礼の者と呼ばれており、またその当時は、キリストを知らず、イスラエルの国籍がなく、約束されたいろいろの契約に縁がなく、この世の中で希望もなく神もない者であった。ところが、あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近いものとなったのである。…(略)…というのは、彼によって、わたしたち両方の者が一つの御霊の中にあって、父のみもとに近づくことができるからである。
そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである。
エペソ人への手紙2章11~19節

 

このように、イエスの贖いの業によってすべての人が「神の家族」となることを、パウロは絶えず意識していました。 
そして、このことは十字架刑を目前にしたイエスが最後に天の父に向けられた祈りでもありました。

わたしは彼らのためばかりではなく、彼らの言葉を聞いてわたしを信じている人々のためにも、お願いいたします。父よ、それは、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、みんなの者が一つとなるためであります。
ヨハネによる福音書17章21節

 
 

エルサレムでの騒動とカイサリアでの拘束

第三次宣教旅行から戻ったパウロは、マケドニヤやアカヤで集めた支援金を携えてエルサレム教会を訪れました。
しかし、その後、神殿でユダヤ人からの激しい迫害に遭い、この騒ぎを治めようとしたローマ兵にパウロは逮捕されてしまいます。パウロは最後までユダヤ人に福音を伝えようと試みましたが、反発が治まることはなく、パウロの暗殺を企てる者もいました。
ローマ兵は、ローマ市民であるパウロの命を守るため護衛したうえで、ユダヤ州を統治するカイザリアの総督のもとにパウロを送りました。ユダヤ人が訴えているパウロにはっきりとした罪状が見当たらず、安全な場所で正式な裁判を受けさせる必要があったからです。

総督や王の前での証言

護送されて到着したカイザリアでパウロは約2年過ごし、その間に行われた裁判で総督や王の前に立ってイエスの復活について証言しました。
このことは、復活前にイエスが弟子たちに残した言葉の実現でした。

しかし、これらのあらゆる出来事のある前に、人々はあなたがたに手をかけて迫害をし、会堂や獄に引き渡し、わたしの名のゆえに王や総督の前にひっぱって行くであろう。それは、あなたがたがあかしをする機会となるであろう。
ルカによる福音書21章12~13節

 

そして、なおも責め立てるユダヤ人の訴えに対して、パウロはローマ市民としての権利を用いて皇帝に上訴し、囚人としてローマに向かうことになったのです。
ローマへの航海では嵐に遭遇し、九死に一生を得てマルタ島に漂着しますが、その一連の出来事の中でも、パウロは一緒に乗船していたローマ兵や他の囚人、島民たちにイエスを信じる者としての証を立てていきました。

 

ローマでの宣教

「獄中の聖パウロ」レンブラント
「獄中の聖パウロ」
レンブラント(1627年)

本人が想像していた姿とは違っていたかもしれませんが、結果として、パウロは帝国の中心であるローマで福音を宣べ伝えることになりました。 

わたしたちがローマに着いた後、パウロは、ひとりの番兵をつけられ、ひとりで住むことを許された。
使徒行伝28章16節

 

パウロは囚人でありながらも開放的な生活が許され、自由に福音伝道を行っていたのです。 

パウロは、自分の借りた家に満二年のあいだ住んで、たずねて来る人々をみな迎え入れ、はばからず、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えつづけた。
使徒行伝28章30~31節

 

著者ルカは、このローマでの宣教の場面を記録して『使徒行伝』を締めくくりました。
世界帝国の首都ローマは当時の世界の中心であり、そこに到達することは、「地の果てにまで福音を伝える」という使命の大きな節目でもありました。 
復活したイエスが天に昇るとき、弟子たちに残した最後の言葉を思い出しますね。

ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう。
使徒行伝1章8節

 

この後も聖霊の働きは止まることなく、イエスを信じた人たちを通して福音は広がっていきました。

ローマ帝国によって社会の安定、比較的安全な移動、統一された法体系や政府がもたらされた。それはキリスト教会が生まれて最初の数世紀を通して、福音が拡大していくための好条件となった。
キリスト教は当初エルサレムとシリアが中心であったが、すぐにアジア、アカイア、さらにローマにまで広がっていった。迫害があったにもかかわらず、紀元2世紀のクリスチャンたちは、スペイン、ガリア、北アフリカなど遠く離れた場所にまで福音を伝えていった。ついにはローマ皇帝もキリスト教を帝国内の公認宗教として認めるようになり、その活動の多くを支援するようになった。
デイビス・P・バレット著『コンサイス聖書歴史地図』59頁

 

そして、世界を導くイエスのもとで、聖霊の働きは、今もなお続いています。

イエスは彼らに近づいてきて言われた、
「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。
それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。
見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。
マタイによる福音書28章18~20節

【参考文献】デイビッド・P・バレット著『コンサイス 聖書歴史地図』いのちのことば社


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