10の災いでエジプト脱出?! モーセVSエジプトの王! 〜過越しとイエス・キリストの関係〜

10の災いとは

こんにちは、ひよこです!
みなさんは、10の災いという言葉を聞いたことがありますか?
10の災いとは、聖書の出エジプト記に記されているイスラエル人の歴史の中の一つの出来事です。
エジプト脱出!「出エジプト記」というのは、名前の通りエジプトから脱出するという意味で、“出発”を意味するギリシャ語の“エクソダス”から来ています。モーセが奴隷だったイスラエル人を引き連れて、エジプトを脱出する様子が描かれています。

出エジプト記には他にも、エジプトを脱出した後のモーセが海を割るシーンや、十戒の話など有名な話も出てきますが、今回解説する「10の災い」とは、まさにモーセとイスラエル人がエジプトを脱出するきっかけになった場面のお話です!

●モーセの十戒についてはこちらの記事をお読みください


ひよこ
Writer Profileひよこ

3歳の時からプロテスタント教会に通う。東京基督教大学で神学とユースミニストリーについて学び、卒業後新生宣教団に勤める。現在はカナダ在住。趣味は絵を描くこと、賛美と楽器演奏(ピアノ・バイオリン・ウクレレetc...)。神様と教会が大好きな20代クリスチャン!若さを活かして読みやすい、興味を持ってもらえるような記事を目指しています!

 

10の災いとは?

先ほど出エジプト記には、モーセが奴隷だったイスラエル人を引き連れて、エジプトを脱出する様子が描かれているということを説明しましたが、簡単にエジプトを脱出できたわけではありませんでした。イスラエル人のリーダーであるモーセが、エジプトの王ファラオにイスラエル人を解放するようにと訴えますが、ファラオはこれを拒否します。そこで神はモーセを通して10の災いをエジプトの地に下しました。それが「10の災い」です。

10の災いまでのあらすじ

「10の災い」の内容の説明に入る前に、その場面に至るまでの経緯を簡単に説明したいと思います。
イスラエル人はヤコブの時代に飢饉を逃れてエジプトの地に寄留していました。当初ヤコブの息子のヨセフがエジプト王を大いに助け、エジプトを飢饉から救い繁栄をもたらしていたため当時の王はイスラエル人を厚遇していましたが、時代を経てヨセフを知らない王が立つと、国の中で勢力を伸ばすイスラエル人を疎ましく思うようになり、ついには奴隷として扱うようになっていきました。

イスラエル人は、エジプトの焼け付くような暑さの中で朝から晩まで奴隷として働かされていましたが、彼らはなんとか耐えていました。それは、かつてアブラハムに告げられた神からの約束があったからです。

時に主はアブラムに言われた、「あなたはよく心にとめておきなさい。あなたの子孫は他の国に旅びととなって、その人々に仕え、その人々は彼らを四百年の間、悩ますでしょう。 しかし、わたしは彼らが仕えたその国民をさばきます。その後かれらは多くの財産を携えて出て来るでしょう。(創世記15:13〜14)

彼らは400年間エジプトの地で苦しめられても、いつかは終わりが来るということを信じていました。この神からの約束を信じ待ち望んでいたイスラエル人たちは、「主よいつまで待つべきですか? 私たちをいつ解放してくださるのですか?」といつも神に叫んでいました。

一方その頃モーセは何をしていたかというと、イスラエル人を救うための準備を黙々と進めていたわけではなく、ミデヤンという場所で羊飼いとして働いていたのです。ミデヤンに来る前モーセはエジプトの王子でした。モーセは元々イスラエル人でしたが、不思議な導きによってエジプトの王妃に拾われ、王子として育てられたのです。しかし、同胞のイスラエル人がエジプト人に虐げられているのを目撃し、そのエジプト人を殺害してしまいます。モーセはそのことを知ったファラオに殺されそうになり、このミデヤンという地に逃げてそこで40年間隠れて過ごしていました。

燃える柴とモーセしかしそんなある日、モーセがシナイ山の近くで羊の世話をしながらホレブの山まで行ったときに、モーセは不思議な光景を目にしました。それは燃えているのに、燃え尽きない柴の木でした。神は燃える柴の中からモーセに語りかけました。

いまイスラエルの人々の叫びがわたしに届いた。わたしはまたエジプトびとが彼らをしえたげる、そのしえたげを見た。 さあ、わたしは、あなたをパロにつかわして、わたしの民、イスラエルの人々をエジプトから導き出させよう」。(出エジプト記3:9〜10)

モーセは神から、「奴隷として虐げられているイスラエル人たちを率いてエジプトから脱出し、カナンの地を目指しなさい」という大きな使命を与えられました。

10の災いについて

こうしてモーセは兄のアロンとともにエジプトへと戻り、イスラエル人の解放を求めてファラオと対立することになりました。
モーセはファラオにイスラエル人を解放するように要求しましたが、もちろんファラオが快諾するわけもなく、むしろ前よりもつらい労働をイスラエル人に課すようになりました。

神はそんな頑ななファラオとエジプトに対していよいよ10の災いを下しました。なぜ10個もの災いが必要だったのかは、ファラオの態度を見るとすぐにわかります。一つ災いがもたらされるたびにファラオは、災いを止めることと引き換えにイスラエル人を解放すると約束しますが、災いが治まるとその約束を守ることはありませんでした。
では最終的にどのようにしてモーセとイスラエル人はエジプトを脱出することが出来たのでしょうか? それは、最後の災いがキーポイントとなっています。

 

10の災いの内容は?

ではいよいよ10の災いとはどのような内容なのか具体的に見ていきたいと思います!
この10の災いの中心テーマは、「主こそ神である」ということです。この方以外に神はいるだろうかということをモーセはファラオに伝え続けています。
出エジプト記7章〜13章に詳細な記述があるので気になる方はぜひ読んでみてください。

①血の災い

神がモーセを通して下した一番目の災いは、ナイル川の水が血に変わるというものでした。モーセの兄であるアロンが杖で川の水面を打つと、水はたちまち全て血に変わっていき、魚が死に、水も飲めなくなりました。ナイル川はエジプトにとってあらゆる良い物と繁栄の根源でした。人々に命をもたらしている水を血に変えることは、エジプトの神々をも打ち滅ぼす力を神は持っていることを意味しています。

②蛙(カエル)の災い

カエルの災い二番目の災いは、ナイル川から蛙が次々と這い上がり、エジプトの地を埋め尽くすというものでした。アロンが杖をナイル川にかざすと、蛙が大量発生し家や王宮にも溢れかえりました。蛙はもともとエジプトでは珍しいものではありませんでしたが、この時は前例のない大規模なスケールでやってきました。エジプト人は、繁殖力の高い蛙を多産の象徴としたり、作物が豊かにみのる豊饒(ほうじょう)のシンボルと考えていました。この災いは、蛙の頭を持つヘクト神をお守りとして用いていたエジプト人の間違った信仰と偶像礼拝に対する神のさばきでもありました。
ファラオが「蛙を消すならば、イスラエル人を解放する」と約束したので、モーセが神に祈ると蛙は次々死んでいきました。しかしその約束は守られることがなかったので次の災いが来ました。

③ブヨの災い

ぶよの災い三番目の災いは、ブヨが大量発生し人々や家畜が襲われるというものでした。アロンが杖で土を打つと、土はブヨとなりその大群がエジプト全土を襲いました。それでもファラオの心は頑ななままでした。

④アブの災い

アブの災い四番目の災いは、アブの大群が押し寄せてエジプト人を襲ったというものでした。アブは眼炎やジフテリアなどの病気を運ぶと考えられているので、時には失明したりと多大な被害を与えました。それまでの災いは、エジプト全土で起こったものだったので、エジプト人とイスラエル人との区別はありませんでした。しかし、このアブの災い以降、エジプト人だけに災いが下るように神が区別しています。

⑤疫病の災い

疫病の災い五番目の災いは、伝染病が発生し、エジプト人の家畜が次々と倒れるというものでした。牛や羊などの家畜はエジプトでは神聖な動物として扱われていて、偶像の神を作ったりもしていました。また、ラクダや馬などその他の動物も農業や運搬に用いられていたので、家畜が死んだことによりエジプトは経済的にも打撃を受けました。しかしそれでもファラオの心が変わることはありませんでした。

⑥腫れ物の災い

腫物の災い六番目の災いは、エジプト人とその家畜に皮膚病が現れるというものでした。モーセとアロンが王宮に煤(すす)を持って行き、それをばら撒くとたちまちその煤は細かいほこりとなり、エジプト全土に広がっていきました。その煤が人や家畜につくと膿の出る腫れ物となりました。エジプト人たちはひどい苦しみに遭いましたが、それでもファラオはイスラエル人を去らせることをしませんでした。

⑦雹(ひょう)の災い

雹の災い七番目の災いは、稲妻と雷がとどろいて激しい雹が降るというものでした。この雹は、エジプト人だけに留まらず、家畜や野のあらゆる草や木を打ちました。畑の作物も枯れてしまい、大混乱に陥ったエジプトの地を見てファラオはついに、「私が間違っていた。主が正しかった」とモーセとアロンに伝え、神にこの災いを止めるように祈ってくれと願いました。しかし、この災いが終わるとファラオはまた頑なな心に戻り、イスラエル人を解放することはありませんでした。

⑧イナゴの災い

いなごの災い八番目の災いは、イナゴが大量発生し、エジプト全土を覆うというものでした。モーセが地に杖を伸ばすと、朝から晩まで東風が吹き、翌朝になるとその風に乗ってイナゴの大群がエジプト全土に飛んできました。イナゴは集団的な破壊力を持つ恐ろしい昆虫で、空はイナゴの大群で暗くなり、作物も全て食い尽くして枯らしていきました。この出来事はエジプト史上最大の被害となりました。今回の災でもファラオは、モーセとアロンにこの災いを止めるように神に祈ってくれと願いましたが、この災いが終わるとファラオはまた頑なな心に戻り、イスラエル人を解放することはありませんでした。

⑨暗闇の災い

暗闇の災い九番目の災いは、エジプト全土が三日間真っ暗になるというものでした。モーセが手を天に向かって差し伸べると、エジプト全土は真っ暗闇になり、暗闇の中でお互いを見ることもできず、自分の場所から動くことさえも困難となりました。この暗闇は一般的にはアラビア語で「ハムシン」と呼ばれる砂あらしによると言われていて、風が膨大な量の砂漠の砂を吹き上げて太陽が覆われることで暗闇になります。
ファラオはこれに激怒し、モーセの顔を二度と見たくないと言いますが、イスラエル人を去らせることはしませんでした。そこでいよいよ最後の災いがエジプトに下ることになりました。

⑩長子皆殺しの災い

過ぎ越し最後の災いは、今までにも無く、これからも無いような決定的な災いでした。十番目の災で神は、エジプト人のすべての長子(夫婦間で生まれた最初の男児)の命を取りました。
災いの当日、人々が寝静まった真夜中頃、神がエジプト全土を行き巡ると、エジプト人の全ての長子が家畜も含めて死にました。エジプトには泣き声、叫び声が響き渡りました。
しかし、この恐ろしい災いはイスラエルのすべての人々に事前に伝えられ、どうすればこの災いから逃れられるのかを知らされていました。それは1歳の傷のない子羊を殺し、その血にヒソプという植物を浸して、家の入口の鴨居(かもい)と2本の門柱に塗るというものでした。イスラエルの人々はその通りに行い、災いの日、門に子羊の血のついた家だけは神がその血を見て通り過ぎて行きました。このことを過越(すぎこ)しと言います。
神がエジプトからイスラエル人を救い出したこの出来事をいつまでも忘れないために、ユダヤ人たちは今でも過ぎ越しの祭りを守り、過越しの食事を聖書に従って必ず行います。
過越の祭りについて詳しく知りたい方はこちらの記事をお読みください。

●ユダヤ教の「過越の祭り」についてはこちらの記事をどうぞ

ファラオもその晩、自分の息子を失いました。それまで頑なだったファラオもついに「イスラエル人よ、頼むからこの国から出ていってくれ! お前たちのものはすべて持っていっていいからここから出ていき、あなたの神を礼拝しなさい!」と伝え、とうとうモーセとイスラエルの人たちがエジプトを出発する時が来ました。
もうエジプトの奴隷ではありません。自由になったのです。イスラエル人は急いで旅支度をして神が連れて行ってくださる新しい土地を目指して出発しました。
これが10の災いのすべてです。

 

過越しとイエス・キリストの関係

この最後の災いである「過越し」は、イエス・キリストと深く関係しています。十番目の災いの日、流された子羊の血はイエスが十字架で流した血を表しています。
新約聖書の時代、バプテスマのヨハネという人がイエスを見た時、2回もこのように言いました。

その翌日、ヨハネはイエスが自分の方にこられるのを見て言った、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」(ヨハネによる福音書1:29)

ここで出てくる「子羊」はギリシャ語の「アムノス」が使用されていて、これは「1歳の子羊」という意味があります。
この時ヨハネは、イエスを過越しのいけにえとなる1歳の子羊と結びつけてそのように呼びました。イエスこそ傷や罪のない完全な神の子羊だとわかっていたのです。

また、同じく新約時代のパウロはこのように言いました。

わたしたちの過越の小羊であるキリストは、すでにほふられたのだ。(コリント人への第一の手紙5:7b)

イエス様神の子羊であるイエスが十字架にかけられたのは、まさにこの過越しの祭りの時期でした。このように、エジプトで起こった過越しは、イエスの十字架での贖(あがな)いをも表しているのです。「贖い」は、「買い取ること」という意味があり、奴隷が買い取られて自由にされることを指します。人は、神の子羊であるイエスが十字架で流されたその血潮の贖いを信じる時、罪は赦され、罪の結果である神の裁きと死は通り過ぎ、救われるのです。

つまり、イスラエル人が鴨居に子羊の血を塗ることで裁きが過越されたように、イエスの十字架で流された血を信じ、その血を心に塗ることで、神はその血を見て滅びから守ってくださるのです。
イスラエル人は、「すごい」から助けられたわけではありませんでした。年が若いか、歳をとっているか、良い人か、悪い人か問われたわけでもありませんでした。ただ子羊の血が塗られていたから助けられたのです。門に血があるかないかはその人が神の救いを信じているか信じていないかの印だったのです。
今日(こんにち)多くの人々が、「自分は立派な行いをしているから天国へ行ける。」と考えています。しかし聖書には、神の言葉を信じて、イエスを罪から救う神の子羊であると信じることで救われると書かれています。

御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。(ヨハネの第一の手紙1:7b)

 

まとめ

最後に冒頭でイスラエル人は400年間エジプトの地で苦しめられていつかは終わりがくると神が約束していたとお話しましたが、その後イスラエル人がどうなったのか見てみましょう。それは出エジプト記に記されています。

イスラエルの人々がエジプトに住んでいた間は、四百三十年であった。四百三十年の終りとなって、ちょうどその日に、主の全軍はエジプトの国を出た。(出エジプト記12:40〜41)

400年間奴隷となっていたイスラエル人は、神の約束通り奴隷から解放されてエジプトの地を脱出することができました。神のされた約束は成就することをこの出エジプトの歴史からもはっきりと知ることができます。

以上ひよこでした。

★記事中のイラストは主に、素材サイト「こひつじイラスト」さんから使わせていただきました

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