聖書『ルツ記』を読み解く~秘められた慰めの書~

ルツ記とは?

こんにちは、ノイです。
今回は、フランスの画家ミレーの代表作「落穂拾い」の基となった聖書の『ルツ記』をご紹介します。
ルツという未亡人を主人公にした、旧約聖書の中で最も短い書物ですが、神の深い憐みと慰めのメッセージが込められています。


ノイ
Writer Profileノイ

日本海を見て育つ。 幼い頃、近所の教会のクリスマス会に参加し、キャロルソングが大好きになる。 教会に通うこと彼此20年(でも聖書はいつも新しい)。 好きなことは味覚の旅とイギリスの推理小説を読むこと。

 

『ルツ記』のあらすじ

モアブとユダの地図士師記(※詳しくは後述)の時代、ユダの地で飢饉が起こりました。
そのため、ベツレヘム出身のエリメレクは、妻のナオミと2人の息子を連れて故郷を離れ、隣国モアブへ移り住みます。

エリメレクの死後、2人の息子はモアブの女と結婚しますが、10年ほどで息子たちも亡くなってしまいます。
苦境に立たされた姑のナオミは故郷ユダへ帰ることを決断し、嫁たちには実家へ戻るように諭します。
弟嫁のオルパは泣く泣く生まれ故郷へと帰って行きましたが、兄嫁のルツは頑としてナオミから離れようとしなかったため、ナオミはルツを連れてユダへ帰ることにします。

大麦の刈り入れが始まった頃、2人はベツレヘムに到着します。
生活の糧となる落ち穂を拾い集めようとしたルツが行きついた畑は、図らずもエリメレクの親戚ボアズのものでした。ボアズはベツレヘムで大きな畑を持つ有力者でした。
姑と一緒にモアブからやって来た献身的なルツの噂を聞いたボアズは心打たれ、ルツが困らないよう行き届いた配慮を施します。
ボアズの親切によってルツとナオミは食べる物に事欠くことなく暮らし、ボアズに感謝して神の祝福を祈りました。

大麦と小麦の刈り入れが終わる頃、ナオミはルツにひとつの提案をします。
それは、夜の間に、麦の打ち場で見張りをしているボアズのもとに晴着を着て行き、当時の習慣に従ってボアズに求婚するように、というものでした。
モアブの地を後にすると決めたときからずっと、ナオミはルツが身を落ち着かせて幸せになるように願っていたのです。

ルツは、ナオミの言うとおりにボアズが寝ている打ち場へ行き、求婚します。
ボアズは驚きながらもルツに優しく答え、ルツに大麦6杯を背負わせて家に帰らせ、当時の律法上の手順を踏んだ後、ルツを妻として迎えます。
ユダヤの系図そして、ルツはボアズの子を身ごもって男の子を産み、その子はやがてダビデ王の父エッサイの父親となります。 

以上が『ルツ記』の大まかな内容です。

 

『ルツ記』の時代背景

姑ナオミと嫁ルツとの深い絆や、親切で善良なボアズとの出会いから結婚までを描いた和やかな印象を与える『ルツ記』ですが、実は3人が生きた時代は非常に混迷していました。

『ルツ記』と同じ時代を記録した旧約聖書の『士師記』を紐解くことで、ルツたちが生きた時代背景を知ることができます。

『士師記』に描かれた世相

「士師」(「さばきづかさ」とも言います)とは、モーセの後継者ヨシュアが亡くなってイスラエルに王が立てられるまでの間、民を導いた指導者たちのことです。有名な士師には、ギデオンやサムソンなどがいます。

聖書とは不思議な書物で、偉大な王や預言者、使徒たちに至るまで、登場人物の姿が赤裸々に描かれています。
『士師記』には、神の教えから離れて思いのままに歩んでしまい、試練に遭っては神に立ち返ることを繰り返す、イスラエルの民の危うい姿がそのまま記されています。そして、頼みの綱である士師や宗教的指導者である祭司も、常に神の思いに適った指導や生き方をすることはできませんでした。

『士師記』の筆者は、当時について次のようにまとめています。

「そのころ、イスラエルには王がなかったので、おのおの自分の目に正しいと見るところをおこなった。」
(士師記21章25節)

各々が自分の基準で生活した結果、目を覆うような凄惨な事件が起こり、最終章は、イスラエルの部族間での争いによって一部族が消滅するという悲劇で締めくくられます。

「落ち穂拾い」とは?

小麦

あなたがたの地の穀物を刈り入れるときは、その刈入れにあたって、畑のすみずみまで刈りつくしてはならない。
またあなたの穀物の落ち穂を拾ってはならない。
貧しい者と寄留者のために、それを残しておかなければならない。
わたしはあなたがたの神、主である。
(レビ記23章22節)

これは、モーセが神から受けて民に定めた「落ち穂拾い」の基となる律法です。孤児や寡婦のためにも、同様の教えが他の箇所で定められています。

●モーセの教えについてはこちらもどうぞ。

神様は、弱くて頼るところのない人々を思いやり助けるようにと、この掟を与えられました。しかし、多くの畑の所有者はこの掟に従わず、落ち穂を拾おうとする人を邪魔することもあったようです。
『ルツ記』にも、次のような記述があります。

ナオミは嫁ルツに言った、「娘よ、その人のところで働く女たちと一緒に出かけるのはけっこうです。そうすればほかの畑で人にいじめられるのを免れるでしょう」。
(ルツ記2章22節)

「その人」とは、ボアズのことを指しています。
ボアズがルツに対して他の畑に行かないように言い、安全な自分の畑で落ち穂を拾うように勧める場面からも、ルツを取り巻く環境が殺伐としたものであったことがわかります。

 

ルツはどんな人?

落穂ひろいをするルツ(ギュスターウ・ドレ)ルツは、家族に尽くす働き者のお嫁さんでした。
姑ナオミはルツとオルパに「死んだ息子と私に親切を尽くしてくれたように、主があなたたちに恵みを賜るように」と言っています。

また、畑で働くルツを見た人は、次のようにボアズに話しました。

刈る人たちを監督しているしもべは答えた、「あれはモアブの女で、モアブの地からナオミと一緒に帰ってきたのですが、彼女は『どうぞ、わたしに、刈る人たちのあとについて、束のあいだで、落ち穂を拾い集めさせてください』と言いました。そして彼女は朝早くきて、今まで働いて、少しのあいだも休みませんでした」。
(ルツ記2章7節)

ルツの信仰と報い

ルツは、イスラエル人と敵対するモアブ人でした。
しかし、姑たちが信じる創造主なる神への信仰を持っていました。 
夫やナオミたちがどんな神を信じているのか、一緒に生活するなかでルツにも伝わったのでしょう。
故郷に戻るように言われ、ルツは、ナオミと自分は一つであって離れることはないということと、ナオミの信じる神への信仰を告白しています。
オルパとルツ(ギュスターウ・ドレ)

しかしルツは言った、「あなたを捨て、あなたを離れて帰ることをわたしに勧めないでください。
わたしはあなたの行かれる所へ行き、またあなたの宿られる所に宿ります。
あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神です。
(ルツ記1章16節)

ボアズはルツの献身と信仰について、次のように語っています。

ボアズは答えて彼女に言った、
「あなたの夫が死んでこのかた、あなたがしゅうとめにつくしたこと、また自分の父母と生れた国を離れて、かつて知らなかった民のところにきたことは皆わたしに聞えました。
どうぞ、主があなたのしたことに報いられるように。
どうぞ、イスラエルの神、主、すなわちあなたがその翼の下に身を寄せようとしてきた主からじゅうぶんの報いを得られるように」。
(ルツ記2章12節)

先が全く見えない状況にあっても、主なる神を頼りに、ルツは国と民族を越えてユダの地までやって来ました。
神は、ご自分を信頼するルツの心と行動を見て祝福されました。

いつの時代、どこの国に生まれたとしても、神は一人ひとりの信仰と生き方を見て報いられます。

主は恵み深く、なやみの日の要害である。
彼はご自分を避け所とする者を知っておられる。
(ナホム書1章7節)

信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。
なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自身を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。
(ヘブル人への手紙11章6節)

今も変わることなくイエス様は「わたしを頼りなさい」と待っておられるお方です。

 

ナオミへの慰め

ナオミは彼らに言った、「わたしをナオミ(楽しみ)と呼ばずに、マラ(苦しみ)と呼んでください。なぜなら全能者がわたしをひどく苦しめられたからです。わたしは出て行くときは豊かでありましたが、主はわたしをから手で帰されました。
主がわたしを悩まし、全能者がわたしに災をくだされたのに、どうしてわたしをナオミと呼ぶのですか」。
(ルツ記1章20~21節)

夫と息子たちに先立たれ、明日の生活の保障もないまま故郷へ戻ることになったナオミは、故郷で再会した近所の人々に率直な気持ちを語っています。
側にいるルツを見ているのも哀れで辛く、自分たちが世界から取り残されたような気持ちであったでしょう。 

しかし、最終章でナオミはボアズとルツの子どもを胸に抱き、その子を養い育てることになります。ナオミは名前のとおり、生きる楽しみを得たのです。
ナオミ

そのとき、女たちはナオミに言った、「主はほむべきかな、主はあなたを見捨てずに、きょう、あなたにひとりの近親をお授けになりました。どうぞ、その子の名がイスラエルのうちに高く揚げられますように。
彼はあなたのいのちを新たにし、あなたの老年を養う者となるでしょう。
あなたを愛するあなたの嫁、七人のむすこにもまさる彼女が彼を産んだのですから」。
(ルツ記4章14~15節)

あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。
神は真実である。
あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。
(コリント人への第一の手紙10章13節)

 

『ルツ記』にある温もり

人々の暮らしや信仰の面でも混迷を極めた時代でしたが、一方で、民を見捨てない神の深い憐みと慈しみ、また、その時代の只(ただ)中にあって神を信じ従い続けた人々がいた、ということも『士師記』は伝えています。
そして『ルツ記』は、どんな時代においても消えることのない神の憐みと、受け継がれていく信仰の灯火が描かれた希望の書です。
そこには、今を生きる私たちへの神の励ましが込められています。

後編では、ルツとナオミを救ったボアズについて、また『ルツ記』に書かれたイエス・キリストへと繋がる欠かすことのできない記録について読み解きたいと思います。

最後に賛美を一曲ご紹介します。
神を見上げて一日一日を精一杯生きたルツに思いを馳せながら聴いてみてください。

●後編の記事はこちら


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