旧約聖書に出てくる 預言者エリシャとその奇跡(政治・軍事編)ハゲにまつわるエピソードとは?

預言者エリシャ(政治・軍事編)

こんにちはハトコです。
今回は預言者エリシャの2回目です。前回はエリシャが人々の中で奇跡を行うことによって神様の愛を示したことを見ましたが、今回は「政治・軍事」面への神様の介入や、悪に対する神様の厳しい面を、エリシャを通して行われた不思議な出来事から見ていきます。

●預言者エリシャについての記事(前編)はこちら


ハトコ
Writer Profileハトコ

牧師の家庭に生まれる。田舎でおとなしい子供時代を過ごしたが、高校卒業後に大阪に住んだことで性格が外交的に変わる。大阪の教会で牧師が1か月にわたり語ってくれた十字架のメッセージを聞いて明確に聖書の福音が解るようになった。好きなことは「掃除」「イエス様に従うこと」。苦手なことは「整理整頓」「ホラーやスプラッター系全般」。(「掃除」と「整理整頓」は別物です!)。新生宣教団職員。

神の働きをするエリシャを揶揄やゆした子どもの一団


エリシャをバカにした子どもたち
エリシャを馬鹿にした子どもたちが
熊に襲われるという事件

エリシャが師匠エリヤから働きを受けついだ時、悲しい事件がありました。政治・軍事面を語る前に、このことにも触れておきたいと思います。それはエリシャを「ハゲ頭」と揶揄した子どもの一団が雌グマ2頭に襲われたというものです。

彼はそこからベテルへ上ったが、上って行く途中、小さい子供らが町から出てきて彼をあざけり、彼にむかって「はげ頭よ、のぼれ。はげ頭よ、のぼれ」と言ったので、彼はふり返って彼らを見、主の名をもって彼らをのろった。すると林の中から二頭の雌ぐまが出てきて、その子供らのうち四十二人を裂いた。(列王下2:23-24)

このショッキングな出来事には色々と解釈があるようですが、ヘブル語の「ナアル」が単独で青年を指すことから、バアルの若い預言者たちだと解釈する人もいるようです。しかしこの聖書箇所では複数形の「ナアリム カタニム」となっており、青年ではなくやはり子どもを意味するそうです。
ベテルという町は、北イスラエル王国の悪王アハブによってバアル礼拝(偶像礼拝)の中心となってしまっており、バアルと敵対する主(聖書が言うところの唯一の神)の預言者を揶揄することは一般的に蔓延した風潮で、それは子どもたちにも影響を与えていたと思われます。

さて、ここでの重要なメッセージは、子どもたちが揶揄したのは単にエリシャだけではなく、その背後におられる唯一の神様をあざける行為であったということです。この事件は、神様が人と結ばれた「神を敬うものは祝福され、神に敵対するものは裁かれる」という契約に従ってなされたものでした。
この記事の説明では雌グマが子どもを殺したと言われることが多いのですが、聖書は「殺した」とは言っていません。「かき裂いた」と言う言葉が使われており、これは動物の爪で傷を負わせるというものです。その傷の程度は書いてないのでわかりませんが……。
子どもにせよ大人にせよ、人の外見を揶揄することもいかがなものかと思います。この教訓から神様を敬い畏れることを学び、また同時に大人の悪い風習が子どもにも悪影響を与え、罪を犯させることもあるのだということを心に留めたいものです。

北イスラエル王国と周辺国

では政治・軍事面を見ていきましょう。
エリシャが活躍した時代、北イスラエル王国は徐々に力を失い、属国だったモアブやエドムが背きます。また、隣国の大国スリヤ(シリア・アラム※)と、幾度となく戦火を交えていました。そのような中で起こった出来事をいくつか見ていこうと思います。
(※聖書訳によって違いますが同じ国です。なお、王の名前も聖書訳によって違うことがあります。)
 
年表:イスラエル王国と預言者エリシャ 

背いたモアブとの戦いにおいて

北イスラエルの悪王アハブの二代あとのヨラム王の時代に、モアブが貢物を納めることを拒んで背きます。ヨラム王はまだ属国だったエドムの王と、同じ民族の南ユダ王国のヨシャパテ王と同盟を結び、背いたモアブと戦おうとします。
しかし出立しゅったつしたものの途中で飲料水が尽きてしまい、ヨラム王は「神様は私たち3人をモアブに渡すつもりだ」と悲観します。しかしユダのヨシャパテ王は「ここに神様の御声を聞く預言者はいないのですか?」と訪ね、預言者エリシャのもとへ行きます。

ここで面白いのは、エリシャの対応です。エリシャは北イスラエルのヨラム王に「偶像礼拝する王に伝える言葉はありません。あなたの両親(アハブ王とイゼベル王妃)が崇拝したバアルに聞けばいいでしょう。」と言い、「私が神様の言葉を取り次ぐのは、あなたのためではなく、ユダのヨシャパテ王のためです。」と言います。神様を信じている人は、他の人のためのパイプになり得るのですね。
エリシャは楽器を奏させて主に祈りました。神様はその祈りに答えます。

主はこう仰せられる、「わたしはこの谷を水たまりで満たそう」。これは主がこう仰せられるからである、「あなたがたは風も雨も見ないのに、この谷に水が満ちて、あなたがたと、その家畜および獣が飲むであろう」。(列王下 3:16~17)

その預言のとおり、水が谷に流れてきました。

あくる朝になって、供え物をささげる時に、水がエドムの方から流れてきて、水は国に満ちた。(列王下 3:20)

モアブの奇跡それだけでなく、朝日がこの水を照らし、水はまるで血のような赤色に染まったのです。
これを見たモアブ軍は、「きっとイスラエルの連合軍が仲たがいをして殺し合ったに違いない」と思い込み、分捕り物を得ようと連合軍側へやってきました。そこで連合軍は立ち上がり、油断していたモアブに対して大勝利を収めました。
時に神様は、私たちが戦わなくても神ご自身のお働きで勝利をくださることがあるのです。

スリヤのナアマン将軍の癒やし

ナアマンにエリシャのことを教える召使の少女さて、イスラエルの隣国スリヤは幾度もイスラエルに攻め入ってきました。その時ひとりの少女が捕虜となり、スリヤ軍のナアマン将軍の妻の召使いになります。ナアマン将軍は、戦いで何度も大勝利を収めた有力な人物で、スリヤの王にも大変重んじられていましたが、当時不治の病として恐れられていた「ツァラアト(重い皮膚病)」をわずらっていました。
ある日少女は女主人にこう言います。

「ああ、御主人がサマリヤにいる預言者と共におられたらよかったでしょうに。彼はその病気をいやしたことでしょう。」(列王下5:3)

エリシャはこんな小さな少女が知るぐらい有名だったのですね。

さて、これを聞いたナアマン将軍はスリヤ王の元へ行き、イスラエルへ行く許可を得ます。王も大切な家臣のため「私も一筆イスラエルの王へ手紙を書こう」と送り出しました。
ナアマン将軍は多くの贈り物とスリヤ王の手紙を持って、まずイスラエル王ヨラムのもとへ行きました。困ったのはヨラム王です。「私は神でもないのにこの男を癒やしたりできるものか! きっとこれはスリヤ王が言いがかりをつけてきたに違いない」と嘆きます。
エリシャはこのことを伝え聞き「私のもとに将軍を来させなさい。神の言葉を聞く預言者がここにいるのだから」と言いました。
私たちも問題解決の時に、間違ったところへ行かないよう気をつけましょう!

人づてに指示を仰ぐナアマンさて、ナアマンはエリシャの家に着くと、ゲハジという召使いが対応します。
「エリシャ先生がこう言っています。ヨルダン川に下っていき、その水に7回身を浸せば癒やされます、とのことです。」
これを聞いたナアマン将軍は激怒します。「なぜエリシャ自身が出てきて対応しないのか! ヨルダン川に身を浸せだと? 彼が私の患部に手をおいて祈るのではないのか! 汚いヨルダン川※などより我が国の川のほうがよっぽどきれいじゃないか!」。(※この時期ヨルダン川は泥水で濁っていたようです)

怒ったナアマンはそのまま国に帰ろうとしますが、ついてきた家来たちがいさめました。
「将軍様、もし、もっと難しいことを命じられてもそれをなさったはずです。預言者はただ水に浸かれと言っただけです。ぜひやってみましょう!」。
良い進言をする部下を持った人は幸せですね。

さて、ナアマンは部下のことばを聞き入れ、ヨルダン川に下っていきました。そして1回、2回…、身を浸しました。どうでしょう…。何も変化は起こりません。3回、…6回、やはり何も変わりません。最後の1回です。7回目、水から上がったナアマンのただれていた皮膚はまるで幼子の皮膚のようになっていました!

ヨルダン川に身を浸すナアマン

ナアマンと彼の部下は飛び上がって喜んだことでしょう。そして、この奇跡を体験したナアマンは、「イスラエルの神のほかに神はいない」と告白しました。

神様はエリシャへ、エリシャはゲハジへと言葉を伝えました。時に私たちも自分が思ってもいない人から「神の言葉を語られる」時があります。そのような時、素直に従う者でありたいと思います。また、奇跡は神の言葉通りに、2回でも6回でもなく7回行った時に実現しました。7という数字は聖書では「神の完全数」といわれ、この話は、神様は癒しの奇跡をなさる方だと教えていると同時に、私たちが神の言葉に「完全」に従う時に奇跡が起こるということも教えているのではないでしょうか。

スリヤの軍隊と神の軍隊

スリヤ軍が北イスラエル王国に戦争をしかける時、軍議を開き作戦を立てますが、なぜかいつもその情報がイスラエル側に漏れてしまうことが度々ありました。
スリヤの王は「内通者がこの中にいるのではないか!」と激怒します。すると側近がこう言いました。

ひとりの家来が言った、「王、わが主よ、だれも通じている者はいません。ただイスラエルの預言者エリシャが、あなたが寝室で語られる言葉でもイスラエルの王に告げるのです」。(列王下6:12)

そこでスリヤの王はエリシャを捕えようと、夜のうちにエリシャの住む町に馬と戦車と大軍を送りました。エリシャの召使いが朝起きると、なんとスリヤの軍勢が町を囲んでいるではありせんか! 「先生、大変です! どうしましょう!」と慌てる召使いの若者にエリシャはこう言います。

恐れることはない。われわれと共にいる者は彼らと共にいる者よりも多いのだから」(列王下6:16)

そして神様に祈ります。

「主よ、どうぞ、彼の目を開いて見させてください」と言うと、主はその若者の目を開かれたので、彼が見ると、火の馬と火の戦車が山に満ちてエリシャのまわりにあった。(列王下6:17)

目が開かれると…目が開かれた召使いが見たものは…。
なんと火の馬と火の戦車が山に満ちて自分たちを取り囲み守っている光景でした!
このことを教会では「霊の目が開かれる」などと言うことがあります。どのようなピンチの時でも、神様を信じる時、霊の目が開かれて全知全能の神様が守って下さることを見る(理解する)ことができるのです。

スリヤ軍がサマリヤを包囲する

包囲されたサマリアとエリシャ

その後、スリヤの王は大軍を持って北イスラエル王国の首都サマリヤを包囲します。
折しもサマリヤは飢饉に見舞われており、そこにスリヤ軍の包囲が重なったせいで、物がなくなり物価が高騰。ろばの頭1つが銀80シケル(※1)(912g)で売られ、はとのふん1カブ(※2)の4分の1が銀5シケル(57.5g)という状況で、もっと恐ろしいことに、食べるものがなくなったため子どもを煮て食べるという悲惨なことまで起きました。
(※1:1シケルは11.4グラム ※2:1カブは1.3リットル)

このようなことが起きているのはあのエリシャのせいだとして、北イスラエルの王はエリシャを捕らえようとやって来ます。
そこでエリシャは不思議な宣言をします。

主の言葉を聞きなさい。主はこう仰せられる、「あすの今ごろサマリヤの門で、麦粉一セア※を一シケルで売り、大麦二セアを一シケルで売るようになるであろう」。(列王下7:1)

(※1セアは7.6リットル)

高騰していた物価が明日には平常に戻るというのです。しかし、近くにいた王の高官が「たとえ、神が天に窓を作ってもそんなことはありえない!」と言い、エリシャはその男に「あなたはそれを見るが食べることはない」と言いました。

さて、サマリヤの町の門の入口に4人のツァラアト患者がいました。町の門で物乞いをしていた彼らは、ここにいてもどうせ飢え死にするのだから、いっそスリヤ軍に投降して何か食べ物でも与えてもらおうと考え、スリヤ軍の陣営に出向きます。ところがそこには驚くべき光景がありました。なんと、スリヤ軍の陣営はもぬけの空、人っ子ひとりおらず、天幕も馬も馬車も衣類や金銀まで置きっぱなしだったのです。これは神様がなされたことでした。

これは主がスリヤびとの軍勢に戦車の音、馬の音、大軍の音を聞かせられたので、彼らは互に「見よ、イスラエルの王がわれわれを攻めるために、ヘテびとの王たちおよびエジプトの王たちを雇ってきて、われわれを襲うのだ」と言って、たそがれに立って逃げ、その天幕と、馬と、ろばを捨て、陣営をそのままにしておいて、命を全うしようと逃げたからである。(列王下 7:6-7)

ツァラアト患者の4人は一つの天幕に入り、そこにあった食べ物や飲み物でお腹を満たし、置き去りにされた金銀衣服を持ち出しました。しかし、はたと気づき、「自分たちだけがこれらを手に入れてはいけない。みなに知らせなければ!」と町の門兵に報告しました。
門兵は上官に報告し上官は王に伝えましたが、ヨラム王は疑って、「いやいや、スリヤの戦略だ」としましたが、ここでも一人の家来が「偵察をさせましょう!」と進言して事実がはっきりとします。
そこで、町の住民は我先にとスリヤ陣営に殺到しました。門の管理を命じられた王の高官は、その人々の波に押しつぶされて命を落とします。この高官は先にエリシャに「そんなことはありえない」と言ったあの人でした。残念なことに、エリシャの言葉どおり彼は「目で見たが、食べることは出来なかった」のです。

エリシャのその他の功績と最後の奇跡

イスラエルがこのように他国からの侵入を受けたのは、偶像礼拝を続ける王たちに悔い改める機会を与えるため神様が許されたことでした。
しかし王たちは従いませんでした。それゆえ神様はエリシャを通して次の王を任命し、バアル礼拝から一向に改心しない悪王アハブの系統である王の血筋を断ち切られました。

時に預言者エリシャは預言者のともがらのひとりを呼んで言った、「腰をひきからげ、この油のびんを携えて、ラモテ・ギレアデへ行きなさい。そこに着いたならば、ニムシの子ヨシャパテの子であるエヒウを尋ね出し、……油のびんを取って、その頭に注ぎ、『主はこう仰せられる、わたしはあなたに油を注いでイスラエルの王とする』と言い、そして戸をあけて逃げ去りなさい。とどまってはならない。」(列王下 9:1-3)

次の王となったのはエヒウです。このエヒウによって悪王アハブの妻イゼベルに対するエリヤの預言も成就しました。

●エリヤのイゼベルについての預言についはこちらの記事をお読みください!


死後も奇跡を起こすエリシャ
死後も奇跡を起こしたエリシャ

エリシャはエヒウの息子エホアハズ王、その次のヨアシ王の時代まで関わり、神に立ち返るようにと導きましたが、この王たちもとうとう偶像礼拝から立ち返ることはありませんでした。
どんなに偉大な預言者が神の言葉を伝えても、従うかどうかは本人次第なのです。神様の言葉や進言してくれる人の言葉を素直に受け入れる者でありたいですね。
エリシャが最後に起こした奇跡は、彼の死後です。

こうしてエリシャは死んで葬られた。さてモアブの略奪隊は年が改まるごとに国にはいって来るのを常とした。時に、ひとりの人を葬ろうとする者があったが、略奪隊を見たので、その人をエリシャの墓に投げ入れて去った。その人はエリシャの骨に触れるとすぐ生きかえって立ちあがった。(列王下 13:20-21)

死んでからも死人を生き返らせる奇跡が起きるって……、すごいですね。

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まとめ

エリシャの奇跡と不思議な出来事の数々を2回に分けて見てきました。
いかがだったでしょう。聖書の列王記上下巻と歴代誌上下巻は北イスラエルと南ユダの王たちの記録です。
北イスラエル王国は、エリヤやエリシャ、そしてこの後ホセアという預言者などを通して語られた神様の声に聞き従わず、偶像礼拝の道を改めなかったために、この約60年後にアッシリアによって滅ぼされてしまいます。

現代の社会ではこのような預言者たちが行った奇跡は見られないかも知れませんが、歴史を通して今も働いておられる神様は同じ唯一の全知全能の神様です。
この方は愛の神様であると同時に義(聖)なる方でもあり、この方をおそれるということも聖書では大事な一面として教えています。

次は南ユダ王国で活躍した預言者にも目を向けてみようと思います。
ハトコでした。ではまた。

●「旧約聖書」についてのこちらの記事もお読みください!

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